連載地域のかかりつけ医が担うこれからの認知症診療

#04 今までの認知症医療やケアのあり方は、「問題の事後的な対応」が主眼となっていた

座談会出席者 木之下徹氏  医療法人社団 こだま会 こだまクリニック院長 本多智子氏  医療法人社団 こだま会 こだまクリニック 看護師 勝又浜子氏  厚生労働省老健局高齢者支援課 認知症・虐待防止対策推進室長 加畑裕美子氏 「レビ-小体型認知症介護家族おしゃべり会」代表 中野あゆみ氏 有限会社DOOD LIFE(高齢者住宅・訪問介護)代表 社会福祉士  ファシリテーター 元永拓郎氏  帝京大学大学院文学研究科臨床心理学専攻・准教授 司会 絹川康夫 一般社団法人 全国医業経営支援協会 代表理事 ※平成24年7月31日に開催。 出席者の所属、役職は当時のものです。 (『ドクタージャーナル Vol.6』より 取材・構成:絹川康夫、写真:安田知樹、デザイン:坂本諒)

常にケアする側だけが情報の発信者ではない

木之下: 5年位前の話ですが、在宅ケアの入浴支援で、腕に噛み跡をつけられて、「やっとお風呂入れてきたわよ。」などと、名誉の負傷みたいに言っていた時代がありました。それが正しいケアのあり方だと思っていたわけです。今の中野さんの話と随分違うでしょう。

騒ごうが、暴れようがともかく風呂に入れるというケアから、そのことを風呂が嫌いだというその人のコミュニケーションの一つと見なしていくケアへ、「よいケア」とはなにかとう意識にシフトしているわけです。

つまり、今までの認知症医療やケアのあり方が、「問題の事後的な対応」が主眼となっていたということ。発生した問題を対処しつつ、プランに書かれているタスクを消化「できる」というのがこれまでの優れたケアであった、ということです。

それは例えば、いまの介護保険の主治医意見書にも、「認知症の周辺症状」という形で残っています。いまなら、「暴言」や「暴力」や「徘徊」を制圧的に対処しようとすることは間違いではないか?という指摘もできるようになってきた。

そのような時代の変り目に我々がいる。暴言とかいう前に、なぜこの人はそんなことをいうのか、症状としてではなく、当たり前の訴えとしてコミュニケーション化する作業、つまり価値観のシフトチェンジが我々の中でも起こってきています。

たしかに、本人の視点で考えれば、この変化は正当化できますが、一方、「周りの視点」から言えば、このことが原因の他殺、自殺もあるわけで、そこにはきれいごとで押し切れない現実もあります。

本多: 中野さんは、以前はまさに「対応」している。「お世話」している。「その人」中心でその人さえ良かったらいいと思っていたというところから、今はその人と話をする、コミュニケーションが先だという思いに移ってきていますよね。

「その人」だけでなく自分も一緒に喜びとか、ほっとする気持ちとかを共有したいという双方向のケアのあり方ですよね。

そうでなく、ただ仕事としてお世話をするだけだと、おそらく疲れるし、やってあげたと言う自己満足的な達成感を求めてしまいがちです。そこには共に喜びを分かち合う、共に生きると言う視点が無いからそうなってしまうのだと思います。

木之下: トムキットウッドはパーソンセンタードケアの根幹をなすものとしてポジティブパーソンワークとして、認知症の人との12の良い関係性を説明しています。

しかし、ポジティブパーソンワークとは、単に一方的な良い働きかけではないと思います。トムキットウッドの話のすごいのは、そのいい働きかけをする発信者が、認知症の人の場合もある、と言っているところです。

常にケアする側だけが情報の発信者ではない、ということに気付かせてくれます。中野さんのお話からもそれは想像できます。

しかし、現状は良い働きかけをするのがケアする人、と相変わらず、一方向の「働きかけ」におとしめられてしまっている気がします。相手も人だけれど、自分も人、という関係性になれば良いと思うし、今回の厚生労働省の報告書もそのような進化を遂げると良いと思います。

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