人工内耳の適応と種類、展望は #01
連載:【世界最多の人工感覚臓器】名医に聞く今知るべき人工内耳
2023.10.21
人工内耳の名医でいらっしゃる熊川先生に取材する本連載、1記事目となる本記事では、人工内耳の変遷を伺います。日本で最初の手術現場に立ったのち、現在も71歳にして臨床現場で毎日診察を続けられている熊川先生だからこそお話いただける、臨床実感に迫ります。
取材協力:熊川孝三氏
昭和51年 順天堂大学医学部卒業同脳神経外科学研修医
昭和54年 東京大学医学部付属病院耳鼻咽喉科、文部教官助手、医学博士号取得
昭和59年 虎の門病院耳鼻咽喉科医員
昭和62年 わが国での人工内耳の治験を開始
平成2年 虎の門病院耳鼻咽喉科医長
平成13年 シドニー大学Royal Prince Alfred Hospital耳鼻咽喉科クリニカルフェローとして人工内耳および電気生理学的聴覚検査の研究に従事(6か月間)
平成19年 虎の門病院耳鼻咽喉科部長・聴覚センター長
平成21年 骨埋込型補聴器BAHAの治験開始
平成23年 人工中耳VSBの治験開始
平成24年 臨床遺伝専門医を取得、遺伝診療センター長 兼務
平成26年 人工内耳手術500例達成し、オーストラリア政府より感謝状授与される
平成27年 虎の門病院、神尾記念病院の非常勤医師として診療、手術にあたる
平成29年 赤坂虎の門クリニック 耳鼻咽頭科 診療部長
令和5年 お茶の水頭痛めまいクリニック 名誉院長兼任
―人工内耳とはそもそもどのような患者さんに使用されるのでしょうか?
熊川:人工内耳は、内耳の「蝸牛」の聴細胞が正常に働かない、内耳性難聴の患者さんに使用されるデバイスです。補聴器の有効性が乏しい患者さんの場合、人工内耳が次の効果的な治療法となります。
―現在の症例数はどの位でしょうか?
適用基準は成人と小児で異なりますが、いずれも一定以上聴力が悪い場合に適用されます。成人では平均聴力レベルが両側70デシベル以上の方が、小児の場合は両側」90デシベル以上(より重度)の方が適用となります。世界ではすでに35万人、わが国では1万4千人、年間1200人の方が手術を受けています。
2014年に保険収載となった残存聴力活用型人工内耳は、低周波数領域は十分聞こえるが高周波数領域が高度難聴である患者を対象にしたものです。低周波数の音は補聴器で増幅し、高周波数の音は蝸牛の基底回転に挿入された電極で処理されるため、ハイブリッッド型人工内耳と呼ばれます。初期には残った低音の聴力も低下させてしまうことが懸念でしたが、最近は特殊な細くしなやかな電極を用いることで聴力を悪化させない電極が開発されています。
――現状、難聴の適応は補聴器の効きが十分ではない方とされているということですね。検査の結果補聴器では不十分と考えられる患者さんに、はじめから人工内耳を提供するということはないのでしょうか。
多くの難聴は遺伝子に原因があるんですが、その場合じわじわと進行性に聴力が落ちてくるので、それまでは補聴器を使うのが妥当なんです。一般的に、最初から人工内耳を使わないといけないというケースは少ないです。割合としては、小児の50%、成人の30%が遺伝性です。
ただし、突発性難聴になって治らないという方は適用になります。片耳が元々難聴で、残っていた方も突発性難聴になるというようなケースもありますが、稀な事例です。
――低音が補聴器によるアナログ音で、高音だけが人工的な音になるというのが想像しにくいのですが、人工内耳の音というのは一般にどのように聞こえるのですか?
熊川:健常者には想像が難しいですが、例えば低音域の母音は聞こえるので、「しんぶんし(新聞紙)」なら「いんぶんい」という感じに聞こえます。これに、電極による高い音の子音/s/が加わることで「しんぶんし」と聞こえるようになります。
――蝸牛の奥を傷つけてしまう危険から、手術は技術的に難しそうに感じます。
熊川:そうですね。電極をとても慎重に扱う必要があります。直径2mm程度の内耳の正円窓という薄い膜から細い電極をゆっくり入れていくんです。ステロイドをあらかじめ投与しておくなどして内耳の障害を抑える工夫が必要です。
また、手術の過程で顔面神経の0.1mm手前まで骨を削らないといけませんので、顔面神経のモニタリングをするなどを細心の注意が必要です。
――この手術は経験豊富な医師が担当するのが一般的なんでしょうか?
熊川:そうです。初心者がやって良い手術ではありません。この手術をするのは人工内耳手術に習熟した医師だけに限られます。
――このハイブリッド人工内耳手術は日本と海外では同じ基準で適応を決めるのでしょうか?
熊川:日本語にはアルファベット言語とは違う特殊性があります。日本語では母音の占める時間が長く、その分、低音域が残る患者さんでは、補聴器の有効性が高いということを日常診療で経験しています。そこで、この型の人工内耳の適応を決定する場合には、補聴器装用よる聴取能の検査もあらかじめ行っておくことが望ましいと考えます。補聴器で十分に聞こえる方にまでは適応を広げないということです。
――先進医療として、「一側性感音難聴に対する人工内耳」がありますが、これはどのようなものなのでしょうか?
熊川:これは、簡単に言えば片耳だけに人工内耳を入れるというものです。有効性は示されてきていて、数年後には保険診療を目指しています。片耳の難聴では、良い方の耳から音は入るんですが、音源定位といって、音の方向を感じ取る能力が大きく落ちてしまいます。この成績が大幅に上昇することが確認されています。さらに両耳聴こえることで、騒音下での聞き取りも改善します。
――逆にこれまで片耳への適応がなかったのはなぜでしょうか?
熊川:人工内耳が発展していく段階では、両耳とも聞こえない方を優先して治療してきました。片耳が聞こえていれば、ことばは認識できます。そのために生活への支障が大きい両耳難聴治療を優先してきたんです。近年になって、片耳の突発性難聴や中耳の手術時の事故を受け、そうした疾患への適応も検討する余地が出てきました。
この治療で大事なのが、難聴を発症してから10年以内の方が適応になるということです。10年経つと片耳の聞こえに合わせて脳の聴覚処理が確立してしまって、そこから人工内耳を入れても有効性が少なくなってしまうんです。
――こうした人工内耳のデバイスとしての性能はかなり成熟してきた段階にあると言われますが、今後さらに改善していく展望はありますか?
熊川:まず過去の進歩を例にとると、当初はMRIが禁忌という問題がありました。人工内耳電極には外側の送信コイルを貼り付けるために永久磁石が入っているんです。もし、MRI装置に入ると、振動と熱を生じ、さらに磁石の磁場が失われて張り付かなくなるんです。それを解決したのがメドエル社でした。逆転の発想で、内部の磁石が回転するようにしたんです。そうするとトルクが吸収されて、障害を起こさないわけです。
これに類似して、頭部のモノポーラ電気メス(メス先が1本の電気メス)や電気刺激治療器はまだ避ける必要があります。このあたりには改善の余地がありそうですね。
両側の聴神経に腫瘍ができる神経線維腫症に対する脳幹インプラント(脳に電極を入れる手術)も開発が進行中です。4万人に1人という稀な病気なんですが、重篤な難病です。この治療として、脳幹に電極を入れて、そこから音を聞かせるということができるんです。私も8例ほど手術しました。治療は自己負担でした。当初は内耳に入れる人工内耳に比べて効果が薄く、成績は30%にとどまっていました。これには理由がありました。脳の中枢ほど神経の並びが複雑で、末梢ほど綺麗に並んでいるのです。だから、聴神経腫瘍の方については神経を全部取ってしまうのではなく、減量だけして聴神経を一部を残し、脳幹ではなく内耳に人工内耳を入れるんです。そうすると、聞こえが改善するんですよ。
この残す聴神経の量について、脳神経外科医と連携して模索しています。
この病気は難病で若い人に多く、有効な治療法が今の所ありませんから、この治療もうまく保険診療になれば、一般化した治療になっていくと考えています。
最近、人工内耳の外部装置(頭皮に付けるデバイス)に直接にコードを繋いで聞こえをよくするという聴診器も開発されています。人工内耳に直接心臓音や呼吸音を入れられるようになっているので、人工内耳を入れた医師(実はかなりいます)には福音です。
――人工内耳は最も成功した人工臓器といえますが、他のBMI(Brain Machine Interface)は難航している印象があります。これはなぜなのでしょうか?
熊川:それは内耳の中でリンパ液と聴神経の間に、ちょうど良い厚さの隔壁があり、これによって神経と電極が直接に接することなく、神経に電気刺激を送ることができるからです。これが網膜だと、神経と電極を隔てるものがないので直接接してしまい、細胞が圧迫されて変化してしまう、あるいは神経が変性するという懸念があります。
脳の中に直接入れる脳幹インプラントもやっていますが、電極が少し移動したり、電極との抵抗が微妙に変化することがありますので、調節が難しくなります。
――他の治療への応用は可能だと思いますか?
熊川:三半規管はあり得ると思います。三半規管の損傷で平衡感覚が失われてしまいますが、これも骨で隔てられているおかげで電極を入れることで回復させることは可能でしょう。
次回の記事では、人工内耳の効果と負担をお伝えします。
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