人工内耳、さらなる普及に向けて 患者への効果と負担は #02

人工内耳の発展によって効果や普及率が格段に高まってきた現代。今だからこそ知りたい最新の効果、補聴器との比較、患者さんにかかる負担について伺いました。重度の難聴を持つ患者さんが、より当たり前にみな人工内耳を取り付ける日は来るのでしょうか。

――近年人工内耳の手術件数が増加してきているようですが、どのような背景なのでしょうか?

熊川:確かに日本人の年間の症例数は1200人と、昔に比べて増加しています。

最大の理由は言語情報を送るソフトウェアとデバイスの発展だと思います。聴取成績(%)の推移は表のとおりです。過去30年間で大幅に改善していることがわかります。

 単音節単語文章
1989年20%20%20%
2000年40%55%60%
2019年70%80%90%

さらに傾向の変化として、昔は成人の手術が多かったのに対し、近年は3分の2を小児が占めていることが挙げられます。これは成人の方は治療され尽くされてきた結果と解釈できます。出生時の難聴は1000人に1人と、かなり高確率な疾患なので、小児に対する早期の治療が増えてきたという背景があります。

――補聴器と比較しても増加していますか?

熊川:この話をするには、わが国における最も大規模な聴覚障害児の言語発達研究である、ALADJIN解析結果(テクノエイド協会)を引用するのが妥当でしょう。聴力が90dB以上の小児で、補聴器群と人工内耳群の語音の聞き取りを比較した結果、手術年齢が早い人工内耳群で語音明瞭度検査の成績がより高い傾向が認められました。

さらに、生後24か月以前に人工内耳を装用した群の方が、それ以降に手術をう受けた群よりも平均点がより高かったのです。

その理由は言語獲得に最も有効な期間により多くの言語音に曝されたためと考えられます。ですから、補聴器の装用効果が乏しいことが判断できた時点で、早期に人工内耳手術をすべきであろうと考えます。

この報告に基づいて、1歳になったら人工内耳を装着することが耳鼻咽喉科学会のガイドラインで推奨されるようになりました。

また、難聴のリスクを予測できる遺伝子検査の発達も背景にあります。高い確率で両側の高度難聴になることが予見できる患者さんもいますから、その場合は完全に聞こえなくなる前に人工内耳が推奨されます。

――人工内耳を利用できないケースというのはあるんでしょうか?

熊川:内耳の形に高度の奇形が有ったり、内耳の中が骨化して電極の挿入が難しい場合もあります。あるいは発達障害が合併している場合、音声を入れたとしても言語中枢がうまく発達せず、言語発達は不十分となります。

人工内耳は、マイクロフォンで拾った音を分離して脳に送りますが、マイクロフォンは現状、雑音と人間の声を完全に区別するのが難しいので、周りがうるさければ聞こえの成績は落ちます。それから、人工内耳は音声の解析がメインの目的であり、音楽の聴取はやはり十分ではありません。

――心身の負担はあるのでしょうか?

熊川:そうですね。片側の手術をする場合、2時間程度かかります。子供の負担軽減を優先して考えるなら、片耳ずつ2回に分けて手術するよりも、入院、麻酔、痛い思いが1回で済むので両耳を同時に手術する方がいいのかもしれません。この場合は4~5時間かかります。

――両耳の手術をする場合、費用は高額になるのでしょうか?

熊川:そうですね。片耳あたり、機械だけで265万します。さらに手術料や入院料も含めると380万円かかります。両耳では2倍かかるので、おおむね760万円となります。あとは維持費とリハビリテーションの費用というところです。

これについては、高額療養費制度を使えば本人の負担は約10万円で大幅に減額されます。人工内耳を入れたお子さんが大きくなって、20年前に手術した子達が、障害があるにもかかわらず、建築家になったり、芸術家になったり、耳鼻科の医師になったりしているんです。そうやってやりたいことをできるって素晴らしいなと思うんです。

国の医療費として考えると、年間1200人に380万円かかると計算すると45億円となります。総医療費は50兆円ですから、全体の0.9%ですのでかなり小さいと言えます。航空機1機分にも満たない額です。

――メンテナンスは必要なのでしょうか?

熊川:維持管理についてよく聞かれるのが、故障するかという点です。これは機械である以上ゼロではありません。シリコンの劣化やアレルギー反応といったケースもあります。保険診療で内部の電極を交換できます。ただし、入替率はさほど高くありません。特に日本人の場合、患者さんが気を遣って、頭をぶつけるようなスポーツから遠ざかってくれることもあって5%台と低い確率にとどまっています。幸い交換の前後では聞こえの成績が変わりませんので、高齢になるまでの使用も安心して下さいと話しています。

――最終的には、難聴の方には全員補聴器か人工内耳が装着されるという未来になるんでしょうか?

熊川:医学的にはそれが理想的です。ただハードルとなっているのが社会的な要因です。

生まれてきた子供が難聴でも、人工内耳は付けさせないという両親もいらっしゃいます。例えば両親がすでに難聴だと、手話を使っていたりするわけです。だから子供にも、自分達と同じく手話を使った生活でよいと考えるようです。

医学的には、人工内耳を取り付ける方が学習達成度や文章理解の正解率が高いですから、手術を受けてほしいと考えています。しかし現状、出生数100万人の1000分の1であるおよそ1000人が重度の難聴を持って生まれ、人工内耳を使用されるのはそのうち3分の2程度です。他の3分の1は手話か、効果のない補聴器を使って聾学校に行って生活しています。小児の場合、2~3歳くらいまでの間に手術を受けないと、脳の言語発達には臨界期があるので、そこから人工内耳で音を入れても十分な言語中枢の発達は望めません。

成人であっても、手術に対する怖さはあるかもしれませんね。その場合は、人工内耳を使用している患者さんと会っていただいて、実際に聞こえるんだということを説明してもらう形でケアをすると、励まされて前向きになることができます。そういった患者さん同士の友の会をご紹介することも多いです。

――これは世界共通の課題といえそうですね。

熊川:人工内耳に反対する人たちはどこにも一定数いますから、その方に無理におすすめするということはありません。どちらが良いか悪いかという話ではないんです。必要とされる方に、必要とされる治療を提供できるよう努力しています。

次回の記事では遺伝子専門医でもある熊川先生に、難聴患者に重要な遺伝子検査の位置付けと、先生のご経歴や思いを伺います。

【赤坂虎の門クリニック】
ホームページ:https://akatora-clinic.com

所在地:東京都港区赤坂一丁目8番1号赤坂インターシティAIR 地下1階
TEL:03-3583-8080

この記事の著者/編集者

ドクタージャーナル編集部(中条)   

薬学・生物学を専門的に学んだメンバーが在籍。ミクロな視点で最新の医療を見つめ、客観的にその理想と現実を取材する。科学的に根拠があり、有効である治療法ならば、広く知れ渡るべきという信念のもと、最新の医療情報をお届けする。

この連載について

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