ドクタージャーナル編集部
連載「パーソンセンタードケア」と「地域における連携ケアの重要性」

#03 認知症に関わってゆくことの大切さ

座談会出席者 木之下徹氏  医療法人社団 こだま会 こだまクリニック院長 本多智子氏  医療法人社団 こだま会 こだまクリニック 看護師 勝又浜子氏  厚生労働省老健局高齢者支援課 認知症・虐待防止対策推進室長 加畑裕美子氏 「レビ-小体型認知症介護家族おしゃべり会」代表 中野あゆみ氏 有限会社DOOD LIFE(高齢者住宅・訪問介護)代表 社会福祉士  ファシリテーター 元永拓郎氏  帝京大学大学院文学研究科臨床心理学専攻・准教授 司会 絹川康夫 一般社団法人 全国医業経営支援協会 代表理事 ※平成24年7月31日に開催。 出席者の所属、役職は当時のものです。 (『ドクタージャーナル Vol.5』より 取材・構成:絹川康夫、写真:安田知樹、デザイン:坂本諒)

「認知症の人を、人として見る」という視点

元永: 「本人の尊厳を大事にする」という言葉は、もはや言い古されています。にもかかわらず、特に認知症医療の現場では、そうではない状況があるのですね。

だからこそ、パーソンセンタードケアの考え方が出てきた訳ですが、この状況をどのように理解すれば良いのでしょうか?

木之下: 立場が違うと見方が異なることと、立場が違っても見方は変らないということがあります。

将来の当事者になりうる自分たちと、認知症の人の家族として悔しい思いをすることの根っこは同じで、このことにおいては立場が違っても見方は変わらない部分であろうと思うのです。

それが自分であったり、家族であったり、ケアする側であったりしても、「認知症の人を、人として見たらどうなのか」という視点が欠け落ちるところに、違和感や衝突が生じるのではないでしょうか。

まさにそれは、認知症の人の生きる表現を「症状」としてしか見ていない、ということなのかもしれません。

家族であれ、自分自身であれ、認知症になったことで様々な嫌な目に合う。

人として見られない。当然有するはずの平等な価値を毀損されている気持ちを感じる。このような現実は、今までも山ほどあったし、今もまだあるでしょう。

多分それは医師だけでなく誰もが同じで、気づいていないからやっているのだろうと。私自身も、そうかもしれません。しかし、気づけば誰もそんなことをやらないでしょう。今回の厚生労働省の発表は、気づきを得る大きなきっかけとなると感じています。

その中でも特に、従来のクリニカルパスに対して、ケアパスの導入がうたわれています。クリニカルパスは入院を基本軸とする概念です。

一方ケアパスは、ケアを軸にした考え方であろうと思います。認知症の人には生活のしづらさがある。それと付き合い、暮らしをつくっていくためには、チームやそれにふさわしい文化や思想が必要です。

出来る限り住み慣れた地域で、自宅で暮らし続けることをアウトカムにしてゆくというコンセプトは、認知症の人を、人として当たり前に大切にするというパーソンセンタードケアの視点と歩みが同じ気がします。

「パーソンセンタードケア(Person Centered Care)」とは、イギリスの臨床心理士、トム・キットウッド氏(1937-1998)が1980年代末の英国で提唱した認知症ケアの考え方。

従来の医学モデルで行われてきた介護施設や介護者中心の一方的な介護を再検討し、認知症患者の個性や人生、尊厳などとしっかり向き合うことで、「その人を中心とした最善のケア」を目指す。

イギリスでは高齢者サービスを行う際の国家基準に取り入れられていて、日本の介護現場でも導入されつつある。

(続く)

この記事の著者/編集者

ドクタージャーナル編集部   

ドクタージャーナル編集部のアカウントです。

するとコメントすることができます。

新着コメント

この連載について

「パーソンセンタードケア」と「地域における連携ケアの重要性」

連載の詳細

話題のニュース

more

「認知症の人を、人として見る」という視点 元永: 「本人の尊厳を大事にする」という言葉は、もはや言い古されています。にもかかわらず、特に認知症医 ...

0Picks