難聴に遺伝子検査の応用も 将来を見据えた人生設計を #03
連載:【世界最多の人工感覚臓器】名医に聞く今知るべき人工内耳
2023.12.23
遺伝子専門医でもある熊川先生は、難聴のリスク遺伝子を特定する研究にも携わられてきました。信州大学との共同研究を経て、現在では高い精度で予後を推定できるようになっています。
――熊川先生は長年、人工内耳に携わられていますが、どのような経緯だったのでしょうか?
熊川:元々は当時のテレビ番組で見たベン・ケーシーに憧れて脳外科医になったのですが、入局当時はCTもMRIもなく、血管造影で血腫や腫瘍を見つけたりで、現在に比べれば、すごく精度の低い診断をしていたなと思います。手術が成功してもいわゆる植物状態になってしまうこともありました。研修医ですから毎日病棟に行って、患者さんの管を交換してたり、点滴の差し替えをしたりしていたんですが、虚しさが伴いました。そこで、もっと失われた機能を良くする治療はないだろうかと考えたときに、脳の隣にある耳だったら将来もっと有効な治療を提供していけるんじゃないかと思いました。そうして耳鼻科医になって数年経ったとき、人工内耳というものができたらしいと聞いたんです。それがオーストラリアのクラーク教授の発表です。学会で流された、人工内耳を入れた患者さんのビデオに受けた衝撃を良く覚えています。後ろから初めて聞く言葉を見事に真似て話すことに驚いて。背筋が寒くなったというか、これは一生を捧げるに値する治療法だなと思いましたね。それから人工聴覚臓器の治療と発展に邁進しています。人工内耳、骨伝導インプラント、人工中耳も脳幹インプラントにも全て取り組みました。
――さまざまな手術に携わられたのは、元々熊川先生が脳外科医だったというご経験も大きかったのでしょうか?
熊川:そうかもしれないですね。耳鼻科医で脳幹インプラントをやろうと思い立つのも難しいかもしれません。手術も10時間くらいかかるんですから。私は電気刺激の結果をモニタリングしながら、脳外科医に電極をもうちょっと右、あと1ミリ上に動かして、と言って電極位置を微調整していく作業をしますが、ど真ん中のストライクを投げられた時にはキャッチャーとしてとても嬉しいです。脳外科医であった経験から脳幹インプラントという治療も自然に受け入れられたのかもしれません。
――熊川先生は遺伝専門医として、難聴にも関連する遺伝診療を長く取り組まれていらっしゃいます。これについても、どのような研究・臨床活動をされてきたのかを教えていただけますでしょうか。
熊川:きっかけは、信州大学耳鼻咽喉科の宇佐美教授が日本における難聴遺伝子の研究を始めたことでした。この研究グループに入れてもらって、研究段階からずっと症例を蓄積してきたんです。私たち臨床現場で取れた患者さんやそのご家族にいただいた血液や聴力のデータをお送りして、全国規模で調査して聴力に関わる遺伝子の役割を一つずつ明らかにしていきました。それが保険診療になったのが2012年です。それから発展を遂げて、現在は次世代シークエンサーで1135個の変異を網羅的に解析できるようになり、患者さんの予後(その後の病気の状態)を推定できるようになりました。将来聴力が低下すると考えられる方には人工内耳をお勧めすることで、患者さんを安心させることができます。
たとえば、Usher症候群は高度難聴と網膜色素変性が合併する病気です。耳も聞こえなくなり、将来的に目も見えなくなってしまう難病です。それをお伝えするのも大変辛いのですが、今見えるうちにできることは何だろうと考えて、人工内耳を早めに、しかも両側に入れたらどうですかとご提案することができます。
別の例では、ごく微量のアミノ配糖体を摂取すると難聴になってしまうミトコンドリア1555変異遺伝子もあります。その場合は可能性のある家族に予防カードというのをお配りして、アミノ配糖体の投与を避けてもらうことで難聴を防ぐことができます。
原因がはっきりしなかった難聴の3〜4割で、原因となる遺伝子が見つかります。劣性遺伝形式であれば、両親に難聴がなくてもそれぞれが保因者であれば、お子さんに2つの原因遺伝子が見つかることは稀ではありません。逆に、両親に難聴があっても、その原因遺伝子が違っていれば、お子さんは保因者となるだけで、難聴では生まれません。そのようなカウンセリングをするには時間も手間もかかりますが、納得する方針を示せた時には、患者さんにはとても感謝されます。
逆に、遺伝子検査の結果、難聴の進行がゆっくりと考えられるKCNQ4変異などの場合には、むしろ安心感を得られて補聴器をお薦めするという場合もあります。
聞こえないという生活がいかに不安とストレスに満ちたものか。外科治療からこの分野に入りましたが、臨床を重ねていくうち、この分野にカウンセリングは必須であると確信しました。難易度の高い資格で、取得できた時には60歳に届いてしまいましたが、臨床遺伝専門医をめざしたのは間違いではなかったと感じています。
――難聴リスクとなる遺伝子は調べ尽くされているということでしょうか。
熊川:ほとんどの遺伝子は調べられてきましたが、まだ一部研究段階のものもあります。そうした遺伝子については、患者さんが研究に参加してくだされば、無料でそれらの遺伝子も①②③の順番で調べら研究で解析することで、原因遺伝子の見つかる割合が増えていきます。
――熊川先生は日本で最多の難聴遺伝子検査を実施されていると伺っています。
熊川:15年の道のりは長かったですね。リスクとなる遺伝子は海外と少し違うので、日本における正確な検査体制を確立できたのは、日本で宇佐美先生が主導されてきた業績です。
近年は保険診療となることで検査も増え、遺伝性難聴に対する研究も進んできました。ペンドレッド症候群という、甲状腺が腫れて難聴となる病気に対しては、慶應大学で薬を開発中です。これが有効なら遺伝性難聴に対する治療法の確立として脚光を浴びるでしょう。
――人工内耳についても同様に、多くの手術を担当されてきたと伺っています。
熊川:500例を達成した際に、オーストラリア政府から感謝状をいただきました。人工内耳を開発したクラーク先生がオーストラリアにいらっしゃって、そこに私自身留学していたんです。開発されたのが1980年ごろ、最初の日本の手術は1985年に行われて、私はそこから立ち会いました。それから試行錯誤や研究を蓄積して、デバイスもソフトウェアも5年ごとに進化してきたと感じます。
――特に印象的だった症例はありますか?
熊川:たとえば、お寿司屋さんをされている患者さんを良く覚えています。中耳炎で両耳が聞こえなくなって、お客さんの注文が聞こえないので、注文を紙に書いてもらって握っていました。でも人工内耳を入れてからは、マスクをしていても全部了解できるようになったんです。これで本当に会話も弾むし、お客さんも楽しめるようになって、お客が増えたようですよ。
あとはアスリートの方もいらっしゃいました。水泳をするときに、水に潜るので補聴器を外していて、何も聞こえない状態で練習していたんです。でも防水性の人工内耳ができたので手術してつけてみたところ、泳いでいてもコーチの声がよく聞こえるようになって記録が伸びたそうです。
あとはお子さんですね。治療して20年後や30年後になっても、本当に難聴なのかと思うくらい自然なイントネーションで言葉を使えて、英会話ができて、留学もできて。1年に1回必ず会って、こんな賞をもらいましたとか、こんな建築作品模型を作りましたと言ってくれるんですよ。受験の年には試験場に人工内耳機器を持ち込める診断書を書いてあげたりもします。
患者さんがやりたいことをやって生きているのを見ると、やっぱり素晴らしい治療法だなと思います。いずれノーベル医学賞をもらってほしいですね。難聴の治療は、医療でありながら福祉に近い。患者さんの機能改善を共に分かち合えるという意味で、とてもありがたい、そして医療者にとっても幸せな治療です。
あとがき
いまや世界に最も普及している人口臓器となった人工内耳。デバイスとしての性能が成熟段階に入り、安定的に聞こえを改善する選択肢として欠かせないものとなっています。患者数の多い難聴患者が社会で活躍できるような医療が発展してきた一方、人工内耳の知識は一般的に意外なほど知られていないのが現状です。人工内耳を必要とする難聴患者が抵抗感なく手術を受けられる日に向けて、最新情報から目が離せません。
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