#03 一つの医療法人で、医療から福祉までの全てのサービスを一括して提供する。

社会医療法人ジャパンメディカルアライアンスの歴史は、今を遡ること40年前に「救急こそが医療の原点である」という信念のもと、志を共にした日本医大卒業の若き4人の医師が6年の準備期間を置き、昭和48年に、病床数50の病院として埼玉県北葛飾郡杉戸町に医療法人仁愛会東埼玉総合病院を開院したことに始まる。 その10年後、昭和58年9月には神奈川県海老名市に海老名総合病院を開院し、平成15年に医療法人仁愛会から医療法人社団ジャパンメディカルアライアンスに名称変更した。  平成21年には複数の都道府県にまたがる法人としては全国初の厚生労働大臣認定の社会医療法人に移行し現在に至る。 (『ドクタージャーナル Vol.10』より 取材・構成:絹川康夫, 写真:安田知樹, デザイン:坂本諒)

複数の都道府県にまたがる社会医療法人として、全国初の厚生労働大臣認定を受ける。

- 社会医療法人ジャパンメディカルアライアンスの取り組みについてお聞かせください。-

鄭氏:ジャパンメディカルアライアンスの前身である医療法人仁愛会『東埼玉総合病院』は、「救急こそが医療の原点である」という信念と志を共にした日本医大卒業の若き4人の医師が出資して昭和48年に埼玉県で開院されました。

その10年後の昭和58年に神奈川県海老名市に現在の『海老名総合病院』が開院されました。

平成15年には、それまでの医療法人社団仁愛会を医療法人ジャパンメディカルアライアンスと名称変更し、その後平成21年には、県をまたいだ社会医療法人としては国内で初めて厚生労働大臣から認可を受けました。

平成15年当時、現在の海老名総合病院は東日本循環器病院という名称で、脳血管、心臓血管、糖尿病、腎臓病などの治療を行う専門性の高い病院でした。さらに周辺には老健や特養の施設が整備されていました。

同じく東埼玉総合病院の周辺においても居宅介護支援事業所ができており、その頃には急性期から介護までの一連のサービスを提供する体制が出来上がりつつありました。

そこで医療から福祉までの全てのサービスを一括して提供するグループとして、メディカルアライアンスと言う名称に変更したわけです。
この名称には、手を携えて「仁愛」の精神で地域貢献に向かっていこうと言う医療から介護、福祉までの連携の意味が込められています。

海老名メディカルプラザ
海老名メディカルプラザ

地域連携でヘルスケアネットワークを目指す

鄭氏:当法人の特徴は、急性期から介護まで一連のサービスが同一法人で提供できることです。つまり、少々大げさですがインテグレーテッド・ヘルスケア・ネットワークがひとつの法人の中で出来ているということです。

地域住民の方の誕生から人生の終末までのあらゆるシーンで、ジャパンメディカルアライアンスが貢献していけるようになりたいと考えています。

但しここで強調したいのは、この県央地域の他の医療機関と手を携え連携を取りながら取り組んでいきたいということです。地域医療は我々だけでは完結できません。

私共には「安心」「信頼」「共存」「「明るく、楽しく、面白く」という四つの行動基本指針があります。その「共存」こそはまさにそのことです。機能分化は地域の医療連携と共存があってこそ成り立ちます。

新しい病院が出来ると患者さんはどうしてもそこに集中してきます。今回の東埼玉総合病院を杉戸町から4km離れた幸手に新築移転した時でもそうでした。

そうなると地域の医療機関は大変なことになりますし、東埼玉総合病院にとっても機能分化が出来なくなりますので、患者さんには申し訳ないのですが紹介状をお願いして、地域の医療機関との連携を進めています。

この記事の著者/編集者

鄭義弘 社会医療法人ジャパンメディカルアライアンス(JMA) 理事長 

医療法人社団ジャパンメディカルアライアンス理事長、医師(消化器内科)。昭和61年東海大学医学部卒、東海大学医学部付属病院臨床研修医、平成8年医療法人社団ジャパンメディカルアライアンス(旧 仁愛会)海老名総合病院内科、平成10年海老名総合病院内視鏡室科長、その後同病院消化器内科科長、内視鏡センター長等を経て、平成16年医療法人社団ジャパンメディカルアライアンス理事、平成21年社会医療法人ジャパンメディカルアライアンス副本部長、平成23年理事長就任。

この連載について

地域医療連携と機能分化で地域内完結型の医療・福祉の実現を目指す社会医療法人

連載の詳細

最新記事・ニュース

more

遺伝子専門医でもある熊川先生は、難聴のリスク遺伝子を特定する研究にも携わられてきました。信州大学との共同研究を経て、現在では高い精度で予後を推定できるようになっています。 将来を見据えたライフスタイルの設計のために。本連載最終記事となる今回は熊川先生の経緯や過去の症例を伺いながら、難聴の遺伝子検査について取り上げます。