#03 「がん克服」への飽くなき挑戦 運命を変えた一編の論文

リキッドバイオプシー研究の第一人者である、オックスフォード大学の中村能章先生が語る本連載、3記事目となる本記事は、リキッドバイオプシー研究に最前線で携わる中村先生の目標や想いについてです。

取材協力:中村能章先生(オックスフォード大学 腫瘍学部門)

■略歴
2009年3月 大阪大学医学部卒業
2009年4月〜2011年3月 天理よろづ相談所病院 初期研修医
2011年4月〜2014年3月 亀田総合病院腫瘍内科 後期研修医
2014年4月~2019年3月 国立がん研究センター東病院 消化管内科レジデント・がん専門修練医
2019年4月~2022年4月 国立がん研究センター東病院 トランスレーショナルリサーチ支援室医員/消化管内科医員
2022年5月〜2025年4月 国立がん研究センター東病院 国際研究推進室室長/トランスレーショナルリサーチ支援室医員/消化管内科医員
2025年5月〜現在 University of Oxford, Department of Oncology, Royal Society Wolfson Visiting Fellow、国立がん研究センター東病院 トランスレーショナルリサーチ支援室外来研究員

ーー中村先生がリキッドバイオプシーの研究に携わるようになった経緯をお教えいただけますか?

中村: きっかけは、2015年に『Nature Medicine』という雑誌に掲載されたある論文を読んだことでした。その内容は、リキッドバイオプシーを用いることで「RAS野生型の大腸がんに対し、EGFR抗体薬が効かなくなる原因」を突き止めた、という画期的なものでした(※1)。

中村: 少し専門的な話になりますが、大腸がんはRASという遺伝子の変異の有無でタイプが分かれます。変異がない「RAS野生型」の患者さんにはEGFR抗体薬が有効なのですが、投与を続けるといずれ効かなくなってしまいます。ところが、休薬期間を設けると再び薬が効くようになる……という不思議な現象が以前から知られていました。 長らくその理由は不明でしたが、2015年にイタリアの研究グループがその謎を解明しました。

中村: 彼らが患者さんの経過をリキッドバイオプシーで追跡したところ、薬を投与している間は、血液中で「薬の効かないRAS変異型」のがん細胞(由来のDNA)が増加していました。逆に投与を止めると、その変異型が減少することが分かったのです。 つまり、謎だった薬剤耐性の正体は、体内で優勢になるがん細胞が「RAS野生型」から「RAS変異型」へと入れ替わっていたためだと証明されたわけです。

※1 原著論文…Siravegna, G., Mussolin, B., Buscarino, M. et al. Clonal evolution and resistance to EGFR blockade in the blood of colorectal cancer patients. Nat Med 21, 795–801 (2015). https://doi.org/10.1038/nm.3870

中村: がん克服のための最大の壁の一つが「がんの不均一性」です。がん細胞は常に変化し続けるため、ある治療が効いていても、いずれその治療に耐性を持ったがん細胞が現れてしまいます

中村: これまでは、薬が効かなくなった時に体の中で具体的に何が起こっているのか、あまりわかっていませんでした。それをリキッドバイオプシーを用いて初めて可視化したのが、この2015年の研究だったのです。「体の中のがん細胞の動きをここまで鮮明に捉えられるのか」と強く惹かれ、私もこの研究に飛び込むことを決意しました。

ーーこれまでの研究の中で特に嬉しかったと感じた場面はありますか?

中村:私が行った医師主導治験が、2021年に『Nature Medicine』に載り、2022年には治験の結果に基づいてペルツズマブとトラスツズマブという薬剤が薬事承認されたことがとても嬉しかったです。医師主導治験の具体的な内容としては、大腸がんの中でも「HER2(ハーツー)」という遺伝子が増えているタイプの患者さんを対象に、2種類の抗体薬(ペルツズマブとトラスツズマブ)を組み合わせて投与する治療法の効果を調べたものです(※2)。

中村:特に新しかったのは、患者さんを見つけるために、痛みを伴う組織検査の代わりに「リキッドバイオプシー」を活用した点です 。研究の結果、リキッドバイオプシーで「この薬が効く」と判断された患者さんでも、組織検査をした場合と同じくらいしっかりとがんが縮小することが確認できました 。これにより、組織を採るのが難しい患者さんでも、血液検査だけでチャンスを逃さずに治療を受けられる道を拓くことができたと考えています 。

※2 原著論文…Nakamura, Y., Okamoto, W., Kato, T. et al. Circulating tumor DNA-guided treatment with pertuzumab plus trastuzumab for HER2-amplified metastatic colorectal cancer: a phase 2 trial. Nat Med 27, 1899–1903 (2021). https://doi.org/10.1038/s41591-021-01553-w

ーーこれまでの研究の中で特に困難だと感じた場面はありますか?

中村: 正直、研究なんて困難だらけです(笑)。 一口に研究と言っても、資金の獲得や企業との交渉、チームビルディング、患者さんへのご説明、そして論文の執筆…など、通らなければならないプロセスが山のようにあり、現在進行形でイギリスでも悪戦苦闘しています。

中村: でも、幸いなことに、どれだけ大変でも命まで取られることはありませんから(笑)。 どんな困難も必ず乗り越えられますし、その壁が高ければ高いほど、乗り越えた時に得られる成果も大きく、自分自身を成長させることができます。そう信じて、日々頑張っているところです。

ーー中村先生が日々の研究において大切にされている目標や思いはありますか?

中村:何よりも「患者さんのためになること」を第一に考えています。研究をしていると、つい目の前の作業に没頭してしまいがちですが、この成果が最終的にどう患者さんのメリットにつながるのか、その「出口」を常に忘れないようにしています。

中村:また、今の私があるのは、これまで出会ってきた多くの患者さんたちのおかげです。その恩返しの意味でも、研究を通じて患者さんに貢献し続けていきたいと考えています。

中村: 一方で、そうした使命感だけで続けてきたわけではありません。自分がどれだけ「ワクワクできるか」という気持ちも大切にしています。今年度からイギリスへ拠点を移したのも、新しい環境での挑戦にワクワクしたかったからです。

中村: かつて私が『Nature Medicine』の論文に心を動かされたように、今度は私が同誌に発表した論文を見て、世界の若い研究者たちが感銘を受けてくれたら嬉しいじゃないですか。 実際、先日イタリアの若い先生から「先生の研究を尊敬しています」と声をかけていただく機会があり、こうして次世代に影響を与えられていることを非常に嬉しく思いました。

中村: そして最後に、やはり「がんを克服したい」という思いはずっと持ち続けています。 これまで研究成果は出してきましたが、「その成果で、実際に何人の患者さんを治せたか?」と自問すると、まだまだ納得がいきません。「私の研究によって、これだけの人を救うことができた」と胸を張って言える、その高みを目指して研究を続けていきたいと思います。

取材協力:中村能章先生

あとがき

治療選択を支える検査として用いられ始めたリキッドバイオプシーは、今やその領域を超え、再発予測や早期発見でさらなる真価を発揮しようとしています。身体への負担を最小限に抑えながら、がんの「今」をリアルタイムに捉えるーーその強みが、今後様々な場面で活かされていくことが期待されます。

そして、中村能章先生の言葉の端々からは、研究者としての冷静な視点と同時に、目の前の患者さんを救いたいという熱い情熱が伝わってきました。かつて一編の論文に心を動かされ、リキッドバイオプシーの世界に飛び込んだ中村先生は、今ではご自身が次世代の研究者たちに感動を与える存在となり、世界を舞台に挑戦を続けています。

科学の進歩は、こうした個人の飽くなき挑戦の積み重ねによって成し遂げられています。採血という、私たちにとっても身近な行為が、がん医療の常識を塗り替え、数年後の「当たり前」を変えていくーーそんなパラダイムシフトの最前線を、私たちは今、目撃しているのかもしれません。本連載が、その変化の一端を知るきっかけとなれば幸いです。

中村能章 オックスフォード大学 腫瘍学部門

■略歴
2009年3月 大阪大学医学部卒業
2009年4月〜2011年3月 天理よろづ相談所病院 初期研修医
2011年4月〜2014年3月 亀田総合病院腫瘍内科 後期研修医
2014年4月~2019年3月 国立がん研究センター東病院 消化管内科レジデント・がん専門修練医
2019年4月~2022年4月 国立がん研究センター東病院 トランスレーショナルリサーチ支援室医員/消化管内科医員
2022年5月〜2025年4月 国立がん研究センター東病院 国際研究推進室室長/トランスレーショナルリサーチ支援室医員/消化管内科医員
2025年5月〜現在 University of Oxford, Department of Oncology, Royal Society Wolfson Visiting Fellow、国立がん研究センター東病院 トランスレーショナルリサーチ支援室外来研究員

取材・執筆

ドクタージャーナル編集部(島元) 東京大学 理学部 4年

薬学・生物学を専門的に学んだメンバーが在籍。ミクロな視点で最新の医療を見つめ、客観的にその理想と現実を取材する。科学的に根拠があり、有効である治療法ならば、広く知れ渡るべきという信念のもと、最新の医療情報をお届けする。

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