#02 【黒澤功氏】トップが自ら先頭に立って先進的に院内改革に取り組む
連載:絶壁を背負った覚悟で開業し、 常にワンランク上を目指した結果がここにある。
2020.11.23
絶壁を背負った覚悟で開業スタートする
黒澤理事長は、群馬県多野郡中里村生まれ。親は医師ではない。群馬大学医学部附属病院泌尿器科医局長、富岡総合病院泌尿器科医長、人工腎臓部部長を務めた。勤務医時代は、夜9時、10時まで働き、9人の医師中で常に保険点数はトップであった。
1977年に36歳で7床の透析病床で黒沢医院を開設したのは、年の瀬も押し迫った12月19日であった。経済的な理由から正月を待たずに1日でも早くスタートしたかったからである。
兄弟2人の担保による融資も受けていたので、それこそ絶壁を背負って始めたようなものであった。高額な生命保険にも入った。生命保険会社の保険医として保険審査のために、夜中に契約者の自宅に診察に行ったりもした。
とにかく相当な覚悟なしでは不可能な開業であった。覚悟をもたないで気楽に開業して最悪の結果に至った人たちを、身近で何人も見てきた。
そういう覚悟であったので、開業したその日から、365日24時間勤務を5年間続けた。
急患を断らずに、すべて引き受けてきた。
患者様からはいろいろと教えられました
「患者様からの電話で、電話番号を聞かないで急患を引き受け、とうとう朝まで待っても来院しなかったというようなこともあり、とにかく患者様からはいろいろ教えられました」
「雪が降ると夜明けから妻と一緒に雪かきをしました。患者様はよほど悪いから来るわけで、自ら望んで病院を訪れる人はいません。ですから、少しでも負担を減らして差し上げるようにしたのです。
また患者様が少しでも気持ちがさわやかになるように、妻は毎朝7時半から生花を飾るようにしました。雪かきも花飾りも現在まで続いており、職員が率先して行ってくれています」
開業して2年で、群馬県で初めて院外処方を実施した。患者さんがどんどん増えていき、スペースに余裕がなくなったことにもよる。1人で外来を1日400人診たこともあった。そこで1985年に43床の病院に移行することになった。
病院では、患者さんにスリッパを履かせたくなくて土足で上がれるようにしたが、靴から泥が落ちるので、患者さんに気づかれないように職員が後ろから拭いていくようにさせたりもした。
現在、院内の150ヵ所に季節の花々が飾られている。休診日を除く毎朝、黒沢由美子副理事長(理事長夫人)の指示のもとに職員が新しい花に交換する。
きめ細かな配慮が病院の評判を高め、患者さんの信頼を獲得してきたのは間違いない。それとともに、ホスピタリティを養う職員教育にも役立てられているのである。
後ろではなく、常に先頭を走ることが大切。
ISO9001認証取得は医療業界で5番目以内。脳ドックの開始は日本で3番目。プライバシーマーク認定取得は北関東で初めて……。黒沢病院は、つねに新しいことに先進的に取り組んできた。
「世の中はどんどん変わっていきます。だからこそ、先頭を走って最初の波に乗ることが大切です。後ろを走ると、10倍の努力をしても最初の波に乗った人に追いついていけない。先頭を走ると1の努力で1実るのに、後ろを走ると10の努力で1実るだけなのです。
だから後ろを走ってはいけないと、いつも職員には言っています。もちろん私自身が朝7時から夜10時まで、みっちり働いて先頭を走っていかないと、職員はついて来ません。
しかし、その私に職員が遠慮して、かりに間違っていることをしていても指摘しづらいとすると、それは危険なことです。そこで、すべて第三者評価を受けるようにしたのです」
ISO9001は、2001年に認証取得した。工場用語を医療に置き直すことから始めた。
すべてを職員だけで行うことに意味があるとして、外部から専門家を招かないで全院内スタッフで実施した。事務部門だけでなく全体で取り組むことにより、部門同士の協調意識が芽生えたのは大成功であった。
ISOのような理詰めの取り組みは、とくに看護部門では違和感を抱かれることもある。
一方で、他の病院からは高く評価されることもある。そうした両面があるが、危険が減って安全性が高まったというメリットが最も大きい。
ふだんの業務を行っているだけでは人間的に大きく成長することは難しく、何らかの目的をもって自分に負荷をかけることで飛躍するものである。
したがって、ISO9001認証取得に取り組んだことは、1人ひとりのかけがえのない成長をもたらした。