#01 認知症は高齢者だけの問題ではない
連載:しなやかさと力強さで創る認知症になってもだいじょうぶな社会
2020.06.26
どうすれば「認知症になってもだいじょうぶ」であることが可能になるか。その答えが、著者が渾身を込めて綴った本書に描かれている。
5月28日に東京で開催された出版記念会では、しなやかで力強い著者の話が聞けた。 (全2回) ― 株式会社メディア・ケアプラス 松嶋 薫 ― (『ドクタージャーナル Vol.23』より 構成:絹川康夫, デザイン:坂本諒)
認知症をタブー視するのではなく語り合っていきたい
2017年5月28日、最近では国際的な観光スポットになった渋谷駅前から道玄坂を上がったところにある書店で「藤田和子出版記念会」が開かれた。
開会のあいさつで藤田さんは「私は今55歳です。今年の5月でアルツハイマー病と診断されて10年になります。その節目の年に著書を上梓できたことはとても意義深いと思っています。認知症とともに生きる方にもこれからなる方にも認知症についてこれまで考えられてきたことからの思考変換になるきっかけができたらうれしいです。」と述べ、認知症は高齢者だけの問題ではないと訴えた。
そして「認知症をタブー視するのではなく語り合っていきたい。認知症になることは恥ずかしいことではありません。誰もがなりうるのですから、だれとでも語り合えるようになればいいと思っています。」と上梓の思いを語った。
『認知症になってもだいじょうぶ! そんな社会を創っていこうよ』という呼びかけのタイトルは、著者が「語り合いともに考える」ことを提案しているからである。本書は6章立てだが、最後の第6章には藤田さんの家族をはじめ、さまざまな立場でともに歩むかけがえのないパートナーの方が寄稿している。記念会には4名の寄稿者が駆け付けてくれ、順番に登壇して著者との掛け合いで会が進行した。
子どもたちの通う学校でも認知症についての理解が進んでいかなければならない
初めの登壇者は、長女の近藤千恵子さんとこの本の表紙や各章とびらにイラストを描いた三女の藤田亜矢子さん。
近藤さんは「母の影響もあり子どもの頃からの夢で看護師になりました。母は看護師としての先輩でもあります。私は4年前から東京に住んでいて直接協力はできていません。きびしいところもある母ですが、これからも母には子どものことや仕事のことで相談したり母からの相談を聞いたりしていきたいです。」と述べた。
藤田さんは夫と亜矢子さん、それに愛犬のココちゃん、愛猫の小春ちゃん、茶々丸くんと鳥取市で暮らしている。亜矢子さんは今回も藤田さんと上京した。時には行き違いでケンカをすることもあるが、家族だから病気への理解は深い。
「母は頭を使うと疲れて寝込むこともあります。そうした時には、少し時間に余裕を取りつつ暮らしています。」と普段の心遣いを語る。診断された時は長女の千恵子さんは看護学生。三女の亜矢子さんは13歳の中学生だった。
アルツハイマー病は高齢者の病気といわれるが、それだけではない。むしろ若年性アルツハイマー病であるからこそ、多くの課題がある。上記のように子育て中の人もいるだろうし、仕事をばりばりやっている人もいる。そうした人がアルツハイマー病になると、今やっている仕事や子育てを、どうすれば継続できるのかということを考えていかなければならない。
藤田さんは「まだ学校に通う子どもが、認知症の親について相談できる相手がいるでしょうか。聞いてくれるかもしれませんが、本人が子どもにどう関わるのかということ、逆に子どもが母親とどう関わっていくかということは、だれも教えてくれないと思います。私は、医療・介護・福祉・行政だけではなく、子どもたちの通う学校でも認知症についての理解が進んでいかなければならないと考えます。」と、教育現場での認知症に対する理解と協力を望む。
フェイスブックに書いた“私 ”をまとめて
続いて登壇した全国マイケアプラン・ネットワーク代表の島村八重子さんは、藤田さんが綴ってきた膨大な量のフェイスブックを整理し、本書を藤田さんが書きあげ校了になるまで併走し続けたキーパーソンだ。
「私は藤田さんとたくさんお話ができると思いこの本のお手伝いを引き受けました。藤田さんは最初『本は出したいけれども一冊の本を書くのはしんどい』と悩んでいました。何度かのお話する中で、藤田さんがいろんな思いをフェイスブックに書きこんでいることから、それを整理して項目ごとに掘り下げていく方法を思い付きました。それからは一気呵成に執筆が進み、約半年で書き上げました。結果はご覧のように200ページの本になりました。」と本書が生まれるまでのいきさつを語った。
約半年の間、泊まりこみで鳥取市まで行き藤田さんの執筆活動を助けたときもあった。「ものすごくエネルギーを注ぎ込んでいるのがよくわかりました。また、原稿の書き直しや修正など、細かいことを話していましたから、日によってはそうとう疲れているなと思ったときもありました」と振り返る。
「私は頭痛がするとよく言うのですが、それは何か頭の中が膨脹するとか焼き切れる感じとか、そういう感覚です。島村さんが膨大なフェイスブックを整理してくれて、私にも人生がありその人生が今も続いているということをあらためて考えました。それでも書き続けていくうちに、脳疲労が激しくなってきたこともありました。その時には私が書いた原稿なのですが『こんなことを書いたかなあ。私はこんなことを書いていない』と島村さんに言ったこともありました。実際には私が言ったことを、そのままパソコンに打ちこんでくれたのですが、それを『こんなことを書いていない』と思ってしまうのです。そのために何度も何度も文章を書き直したところが何か所もあります。こうして私とともに原稿の完成を手伝っていただけた島村さんは、新しいパートナーだと思っています。」と藤田さん。
「私自身も藤田さんと原稿完成のために話し検討するうちに、自分ももっていた認知症に対する偏見に気づき、これから自分が認知症になってもだいじょうぶになるように、自分自身の周りにいる人との関係性を見つめ直すこともできました。」と島村さんも話す。
(続く)
蓮池林太郎 医療法人社団SEC新宿駅前クリニック院長