#01 睡眠医学はまだ60年足らずの若いこれからの学問です。

近年、睡眠障害の深刻さの度合いはますます増してきている。 従来、睡眠障害はごく一般的な病気であったが、患者数の増加とともに高血圧や脳血管障害をはじめとする,様々な生活習慣病を合併することが知られるようになり,プライマリケアの第一線で対応する内科医、及びかかりつけ医にとっても睡眠医療に対する積極的な対応が求められる時代となってきている。 名嘉村博氏は、日本における睡眠医療を牽引し、特にSAS(睡眠時無呼吸症候群)の治療においては1990年に日本で最初の睡眠呼吸センターを沖縄県浦添市に開設した。 (『ドクタージャーナル Vol.2』より 取材・構成:絹川康夫、写真:安田知樹、デザイン:坂本諒)
名嘉村博
名嘉村博
医療法人HSR 名嘉村クリニック院長。【専門領域】呼吸管理・人工呼吸療法・在宅酸素療法・睡眠医学。 1974年九州大学医学部卒業、1976年九州大学第一内科(循環器)、1984年浦添総合病院呼吸器科、1989年アメリカコロラド大学呼吸器科にて睡眠時無呼吸検査施設研修、1990年日本で最初の睡眠呼吸センターを沖縄県浦添総合病院に開設する。

日本人の平均睡眠時間は世界で一番少ない

「睡眠医学は1953年にレム睡眠が発見され科学的に脳波睡眠という定義が確立してからまだ60年足らずの若い学問です。さらには、睡眠時無呼吸症候群も1970年代後半に定義と診断基準が確立したまだ発展途上の領域です。」と名嘉村氏は言う。

「睡眠障害とは不眠症やいねむり病ともいわれるナルコレプシーなどの過眠症のように睡眠そのもの病気と、いびきやSAS(睡眠時無呼吸症候群)などの睡眠呼吸障害に大別されます。

日本人の成人で5人に一人は何らかの不眠がありまた3ないし5%は睡眠呼吸障害に罹患しているというデータがあります。実は睡眠障害ほど罹病率の高い病気は他にあリません。

SASは治療をしないと狭心症や脳梗塞など突然死につながるリスクが高い病気です。

また睡眠障害は個人の健康だけでなく交通事故や産業事故などを引き起こす要因にもなっています。

しかし現代社会では睡眠時闇はどんどん短くなっています。特に日本人の平均睡眠時間は世界で一番少ないと言われています。

健康意識においても運動、栄養、喫煙、などに比べても睡眠に対する関心は未ださほど高くないのが現状です。今後はより良い睡眠を指導する専門職の育成や睡眠の啓蒙指導も大切と考えます。」

米国では始まっていたSASの本格的な研究

「当時私は、浦添総合病院で呼吸器専門と救急をしていましたが、睡眠障害に取り組む契機の一つは、SAS と思われる患者さんの突然死を経験したことです。

日本ではSASはまだほとんど話題になっていませんでしたが、既に米国では本格的な研究が始まっていました。

また欧米の学会誌に睡眠呼吸障害の論文が多く発表されていることに気づき、米国でも起こっている現象は必ず日本でも起こると直感し、患者さんも確実に増えると確信したので、睡眠医療を始めることを決意しました。」

「当時の日本では、睡眠呼吸障害は少数の大学であくまでも研究対象であり、また検査室も専用の部屋はなく一般入院患者用大部屋を使用するという劣悪な環境下で行われていて、本格的に治療をしている病院はほとんどありませんでした。

また具体的な治療やケアの方法については知る術もありませんでしたので臨床現場で試行錯誤しながらノウハウを得ていくしかありませんでした。」

そこで、1989年に米国シンシナチでの米国呼吸器学会への出席後、デンバーのコロラド大学で睡眠呼吸障害の研修を受ける。昼間は医師について臨床を、夜は病院で最先端の睡眠検査技術やシステムを学ぶ。

睡眠障害の検査をシステム化する

名嘉村氏はそこでの睡眠検査のシステムに衝撃を受ける。

それまで日本における睡眠障害の検査は、大学病院が研究の一環として検査技師ではなく医師が1週間くらい時間を掛けて行っていた。しかし当時のアメリカでは睡眠障害の検査は専門の検査技師が1泊2日で行っていた。

「当時の日本における睡眠検査は、医師自身が劣悪な環境で終夜睡眠ポリグラフ検査(PSG)を行っていましたが、米国では医師ではなく、教育を受けた専門の技師が実施し医師との役割分担が成されていて非常に感銘を受けました。

当時のデンバー周辺の人口が50万人前後であったが、数箇所の病院で週当たり60人以上の検査が行われている事を考えると、それ以上の人口を有する沖縄であれば罹患率を低く見ても週当たり数人のPSGが必要と見込めたことと、テキサスで行われた睡眠呼吸センター設立セミナーに日本人で参加していたのが私一人だったことで、日本での成功確信し、沖縄に睡眠呼吸センターを設立することにしました。

睡眠障害の検査をシステム化してルーチンの検査としていつでもできるようにしたのは日本では初めてでした。」

睡眠医療の取り組みに対する地域差は大きい

名嘉村氏は、帰国した翌年、浦添総合病院にチームアプローチによる米国型の診療体制を作り、さらには病院の技師を米国に留学させ、日本で第 1 号の米国認定睡眠検査技師(RPSGT)の資格を取得させる。

このようにして名嘉村氏は睡眠検査システムの充実を図っていった。

「またそのころアメリカで使われていた睡眠検査のためのPSGは日本製品のシェアが高くて、日本光電の機械が全米で70%近くのシェアを占めていました。

ところが帰国してから日本製品を使おうとしたら日本向けはないというので驚きました。日本では売られていなかったのです。

何とか研究用に貸与してもらいましたが、そのくらい当時の日本におけるSASの認識は低かったのです。

また神戸などの大都市でさえ学会認定の睡眠呼吸センターが出来たのがつい最近というように、現在でも睡眠医療の取り組みに対する地域差は非常に大きいです。」

この記事の著者/編集者

名嘉村博 医療法人HSR 名嘉村クリニック 院長 

【専門領域】呼吸管理・人工呼吸療法・在宅酸素療法・睡眠医学。
1974年九州大学医学部卒業、1976年九州大学第一内科(循環器)、1984年浦添総合病院呼吸器科、1989年アメリカコロラド大学呼吸器科にて睡眠時無呼吸検査施設研修、1990年日本で最初の睡眠呼吸センターを沖縄県浦添総合病院に開設する。

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遺伝子専門医でもある熊川先生は、難聴のリスク遺伝子を特定する研究にも携わられてきました。信州大学との共同研究を経て、現在では高い精度で予後を推定できるようになっています。 将来を見据えたライフスタイルの設計のために。本連載最終記事となる今回は熊川先生の経緯や過去の症例を伺いながら、難聴の遺伝子検査について取り上げます。