#01 医療だけでは解決できないこと、不十分なことがあります。

東京都町田市の戸建て住宅が立ち並ぶ閑静な住宅街の中にある、西嶋医院とケアセンター成瀬。 この地域で西嶋公子院長は、40年近くにわたり地域のかかりつけ医として、外来診療と在宅医療に取り組んでいる。 特筆すべきは、住民のボランティアグループの結成や、地域ケアの拠点「ケアセンター成瀬」の建設陳情活動など、常に自らが中心となって、住民参加による街づくりに尽力してきたことだ。 「常にみんなで意見を出し合い、みんなの合意の上で全てを決めてきました。私への反対意見があった時でも、必ず全ての意見を尊重してきました。多数決や強制で決めたことは、一度もありません。」と、住民参加型の街づくりにこだわってきた。 長年の活動に対して、平成27年に第3回「日本医師会 赤ひげ大賞」が贈られている。 西嶋公子院長は自らを、住みやすい街づくりのコーディネーターであり、オルガナイザーと自認する。 (『ドクタージャーナル Vol.28』より 取材・構成:絹川康夫、写真:安田知樹、デザイン:坂本諒)

98名の小児がんの子供達を看取った辛い経験

私は大学を卒業後、国立小児病院血液科に研修医として入り、そこで多くの小児がんの子供を受け持ちました。

無給で5年間勤務しましたが、当時うけもった100名の患者のうち98名は亡くなりました。

小児がんの子供達が目の前で亡くなっていくのを、ただ見守ることしかできなかった無力感は、研修医の私にとっては、忘れることのできないとても辛い経験でした。

そこでは、医療だけでは解決できないことがあることに気付かされました。

そのことが、私がターミナル・ケア、グリーフワークに進む動機に繋がっています。

その後、国立療養所神奈川病院小児科に移りましたが、同時に母校の難治疾患研究所に専攻生で入らせてもらいました。そこでは白血病で亡くなっていく子供たちの役に立ちたいとの思いから、白血病のDNAの研究を行い、8年がかりで白血病細胞のDNA合成酵素というテーマで研究論文をまとめ、昭和59年に医学博士号を取りました。

研究途中でしたが、諸々の事情で昭和54年に東京都町田市成瀬台に西嶋医院を開設しました。

開業の一番の理由は、地域のファミリードクターとして、患者さんに近いところで仕事がしたいという思いが募ってきたからです。

開業してから次第に往診の依頼が入るようになりました。往診先では、何年も寝たきりでいる方や、介護で疲弊している家族の姿を目の当たりにしました。ここでも、医療だけでは不十分なことがあることに気付かされました。

将来への危機感が活動の原点です

私は医師ですが、同時に、一人の地域住民であり、生活者でもあります。

地域の開業医とは、来院される患者さんだけを診ていれば良いということではなく、そこで生活している住民の一人として、地域の患者さんやご家族にどのように関わっていくのか、ということが、とても大事なことだと思っています。

私が最初に行ったのは、そこに住む全ての人に必要なものが提供される地域、全ての人が安心して暮らせる地域を作るための、地域ボランティアグループの発足でした。

来るべき高齢化社会を考えた時に、医師として一人の地域住民として、自分たちで何か行動を起こさなければならないと強く感じたからです。

その理由は、私の父が認知症になり、一時期ですが施設に預けた時に、当時の老人病院での介護の劣悪な実態を経験したことにあります。

当時の町田市には、人口35万人に対してショートステイのベッドはわずか10床しかなく、父が入院したのは車で2時間以上もかかる郊外の老人病院でした。

そこで、父だけでなく多くのお年寄りが、生かさず殺さずのような接遇を受けている姿を目にした時に、これは決して他人事ではないと、自分達の将来への大きな不安がつのりました。

また、平成2年にアメリカ東海岸のホスピスツアーに参加した時に、3人の女性が基金を募って自分たちのホスピスを作ったことや、ニューヨークのマクドナルドハウスでは全てがボランティアのスタッフで運営されていることに驚きと感銘を受けました。

誰かに頼るのではなく自らが動くことの大切さに気付かされたのです。

街づくりのコーディネーターやオルガナイザーも医師の役目です

住民参加型の街づくりでは、一人ひとりがそれぞれの役割意識を持って参加することが何よりも大事です。

地域包括ケアといっても、来るべき高齢化社会を見据えた時に専門職だけではスタッフは絶対に足りません。その時に必要となるのは、資格を持たない普通の人です。

そこがもっとも重要と思ったので、私は普通の人のボランティアによる参加型を目指したのです。

ボランティアで大事なこととは、自分のやりたいこと、好きなこと、得意なことで参加することです。

さらには、ケアを受ける人たちだけでなく、ボランティアとしてケアを提供する人にとっても一人一人の意思や希望が尊重され、その人らしさが発揮できるための数多くの選択肢が必要です。

関わることが楽しい、地域の人間関係の輪が広がる、そして誰かのお役に立てる。そういう活動なら多くの人が参加できます。

ボランティアとして普通の人が関わる意味とは、ケアの双方向性を認識することにもあります。

そのために、人と人を結び付け、組織化するコーディネーターや、オルガナイザーとしての役割を街の開業医がもっていると考えたのです。

この記事の著者/編集者

西嶋 公子 医療法人公朋会 理事長 

医療法人社団公朋会理事長、西嶋医院院長。社会福祉法人創和会理事長。NPO在宅ケアを支える診療所市民ネットワーク理事、社会福祉法人創和会理事長、町田介護支援ネットワーク協同組合代表理事、平成27年 第3回「日本医師会 赤ひげ大賞」受賞。昭和45年 東京医科歯科大医学部卒、昭和47年 国立小児病院、国立療養所神奈川病院勤務。昭和54年 西嶋医院開設、平成元年 ボランティアグループ「暖家の会」設立、平成5年 センター建設促進住民の会 事務局長、平成8年 「ケアセンター成瀬」施設長、平成9年 西嶋医院を医療法人社団公朋会に改組。

この連載について

住民参加型の地域包括ケアを志向し、 コーディネーターとして住みやすい街づくりに尽力する

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遺伝子専門医でもある熊川先生は、難聴のリスク遺伝子を特定する研究にも携わられてきました。信州大学との共同研究を経て、現在では高い精度で予後を推定できるようになっています。 将来を見据えたライフスタイルの設計のために。本連載最終記事となる今回は熊川先生の経緯や過去の症例を伺いながら、難聴の遺伝子検査について取り上げます。