#01 【河野勝驥氏】ホームドクターとして、常に切磋琢磨し知識や技術をひとつひとつ積み上げていく。

閑静な住宅街が広がる東急田園都市線。鷺沼駅徒歩3分の絶好地に河野医院は位置する。まだ人通りも少ない早朝6時半、早朝診療の開始。 1979年の開院以来、38年間にわたって守り続けてきた。出勤前のサラリーマン、朝が早い自営業者や職人さん、登校前の小学生など……。 早朝診療のおかげで、自分のライフスタイルや生活リズムに合わせた診療を受けられる患者さんは実に多い。 河野勝驥院長は、ホームドクターとして、消化器、呼吸器、循環器の内科、アレルギー科、皮膚科に加え、心療内科までカバーする。また田園都市線沿線では数少ない漢方医でもある。 (『ドクタージャーナル Vol.2』より 取材・構成:絹川康夫、写真:安田知樹、デザイン:坂本諒)
河野勝驥

河野勝驥 
河野医院院長。昭和18年 山口県生まれ。昭和44年東京慈恵会医科大学卒業、東京慈恵会医科大学病院消化器科外科入局、昭和51年国立東京第二病院循環器内科勤務、昭和52年医学博士、昭和54年1月 河野医院を開業。開業のかたわら63年より、慈恵会医科大学第三病院消化器内科、総合診療部にて卒後研修生として在籍、現在に至る。 平成2年東洋医学会専門医及び内科認定医取得。日本消化器学会、日本皮膚科学会、日本アレルギー学会、日本東洋医学会等に所属。

多様な生活ニーズに合致した早朝診療

「子どもの具合が悪いのですが、今日は学校へ行かせていいでしょうか。」
「今日は自分が仕事を休んで、具合の悪い子どもの世話をしたほうがいいでしょうか。」

早朝から子どもを診察に連れて来た母親が、河野院長に尋ねている。いかにも早朝らしい相談で、また早朝に受診できるからこその相談である。

職人や、サラリーマン、共稼ぎ夫婦から、子供やその親などにとって、早朝に受診できるメリットは計りしれない。

通常クリニックは、午前9時前後から診察が開始されることが多い。

早朝から開いているクリニックが存在することを知らない患者さんは多い。

河野医院のホームページで、早朝6時半から診療しているのを発見して来院する。

「毎日、田園都市線で渋谷まで通っていますが、通勤途中に受診できるのですから、ウソみたいですよ。同僚からは信じてもらえません(笑)。」と、あるサラリーマンは語る。

必要に迫られて始めた早朝診療

患者さんから全面的に支持されている早朝診療ではあるが、始めた動機は実は意外なところにあった。

河野院長が研修医の頃、午前中に済ますべき胃のレントゲンや内視鏡の検査を、時間内に全て済ませることができないことが多くあった。しかも、看護師やレントゲン技師は昼休みになってしまい、医師だけが居残りで検査をしなければならない状況に悩んだ。

「患者さんは待っているから、検査は続けなければならない。しかし、胃のレントゲン検査を行うのは空腹時の午前中がベストなのです。

1人でも多くの患者さんを検査するのであれば、早朝からやるしかない。そこで6時半から自分だけで検査を行うことにしました。

これが患者さんにも喜ばれ、非常にうまくいきました。そうすると、出勤前のサラリーマンがとか、いろいろな患者さんが来院するようになったのです。」と河野院長は語る。

開業に際しても早朝診療を標榜する

だから、診療所を開院するときにも、診療方針として早朝診療を打ち出した。当時では早朝診療の草分け的存在である。

多くの人たちの生活ニーズに合致するはずの早朝診療だが、なかなか他に広がらないのは何故か。

いうまでもなくマンパワー的にもコスト面でも多くの課題があるからである。コストだけを考えると時間外勤務のスタッフの人件費など、むしろマイナスである。

そのような中で、開院以来今でも早朝診療の方針を守り続ける苦労は並大抵のことではないが、患者さんの利便性と、地域の多くの人々から喜ばれていることを考えるとやめる訳には行かなかった。

今では河野医院の名は、早朝から診療を行うクリニックとして、地域住民に限らず、田園都市線沿線の通勤客にまでしっかりと根付いている。

オールマイティのホームドクターをめざす

河野院長は、もともとは消化器外科が専門であったが、鷺沼で開院するに当たって外科ではなく、地域のホームドクターをめざす決心をする。そのため内科医として再研修を受けた。開業後30年以上たった今でも大学病院での研鑽は怠らない。

「内科とは、呼吸器、消化器、内分泌、心療などの総合的内科を意味します。全てを診なければならない。細分化された○○内科というのは、本来はないと思っています。

分けてしまったらホームドクターでなくなる。ホームドクターは、患者さんの家の事情、悩み、人間関係などにまで全てに目を配らないといけない。

内科、外科から時には心の中まで、ありとあらゆる疾患を診ます。オールマイティでなければならない。ですから広く浅く、が基本で、自分の手に負えないようであれば、専門医に紹介します。」

診療圏がそれほど広くない田園都市線鷺沼駅周辺地域の医院としての地理的条件から、ある程度限られた人数の患者さんが診療対象となるのは仕方のないことと思われる。

そのかわりホームドクターの本来の在るべき姿として、その地域住民に対しては、子どもからお年寄りまで万遍なく診る。

しかし現在、患者さんの分布は地元圏が40%、周辺地域が30%、遠隔地域がなんと30%の割合となっている。これも早朝診療ゆえの集患効果だ。

ホームドクターは日々の研鑽が欠かせない

河野院長が考える、ホームドクターとしての条件は厳しい。

近隣の大学病院や総合病院と絶えずコンタクトをとって勉強することが大切であり、自分の専門以外についても、知識を絶えず吸収する必要があると考える。

たとえ専門分野であっても、その知識は5年経てば色褪せてくる。だからこそ大学病院や総合病院に通って、自分で研修しなければならないと河野院長は訴える。

常に切磋琢磨して、自分の知識や技術をひとつひとつ積み上げていく大切さを説く。ホームドクターに王道はないという。

病院で絶えず学ぶのは、忙しい開業医にとっては難しい面もある。しかし、河野院長によると、例えば南米のドクターなどではそれは普通に行われているという。

午前中は自院で診療し、午後は地域の総合病院で仕事をする。病診連携である。そのことで知識もレベルアップしていくし、高価な医療器械を自院で揃えることも不要となる。

「40代、50代になると、本だけ読んでもなかなか頭に入っていかない。若い先生から直接学ぶのが最も効率的です。

教えてくださいと頭を低くする。教えてもらうときは、相手が若くても先生と呼びます。お願いしますと言えば、どんな病院も受け入れてくれますよ。断られる病院はないと思います。現に私はそうしてきました。」

この記事の著者/編集者

河野勝驥 河野医院 院長 

河野医院院長
昭和18年 山口県生まれ。昭和44年東京慈恵会医科大学卒業、東京慈恵会医科大学病院消化器科外科入局、昭和51年国立東京第二病院循環器内科勤務、昭和52年医学博士、昭和54年1月 河野医院を開業。開業のかたわら63年より、慈恵会医科大学第三病院消化器内科、総合診療部にて卒後研修生として在籍、現在に至る。
平成2年東洋医学会専門医及び内科認定医取得。日本消化器学会、日本皮膚科学会、日本アレルギー学会、日本東洋医学会等に所属。

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遺伝子専門医でもある熊川先生は、難聴のリスク遺伝子を特定する研究にも携わられてきました。信州大学との共同研究を経て、現在では高い精度で予後を推定できるようになっています。 将来を見据えたライフスタイルの設計のために。本連載最終記事となる今回は熊川先生の経緯や過去の症例を伺いながら、難聴の遺伝子検査について取り上げます。