#01 認知症に「向き合う」のではなく、「共に生きる」「共に歩む」という視点が大切です

座談会出席者: 木之下徹氏(医療法人社団こだま会こだまクリニック院長) 本多智子氏(医療法人社団こだま会こだまクリニック看護師) 勝又浜子氏(厚生労働省老健局高齢者支援課認知症・虐待防止対策推進室長) 加畑裕美子氏(「レビ-小体型認知症介護家族おしゃべり会」代表) 中野あゆみ氏(有限会社DOOD LIFE(高齢者住宅・訪問介護)代表 社会福祉士)  ファシリテーター:元永拓郎氏(帝京大学大学院文学研究科臨床心理学専攻・准教授) 司会:絹川康夫(一般社団法人全国医業経営支援協会代表理事) ※平成24年7月31日に開催。 出席者の所属、役職は当時のものです。 (『ドクタージャーナル Vol.5』より 取材・構成:絹川康夫、写真:安田知樹、デザイン:坂本諒)

今や認知症は国家としても取り組むべき課題

司会: 周知のように、本年(平成24年)6月18日に厚生労働省認知症施策検討プロジェクトチームより「今後の認知症施策の方向性について」が発表されました。

ここには従来の認知症施策の反省を踏まえて、これからの日本における認知症診療のあり方もふくめて大きな指針が提示されました。

認知症の人はこれからますます増えていくであろうと思います。今や認知症は国家としても取り組むべき課題である、と言っても過言ではありません。

そこで、認知症ケアのあり方とはどのようなものなのかを、私たち自身も含めた当事者のテーマとして捉えて考えてまいりたいと思います。

これから如何にして「認知症」と向き合い、歩むべきなのか、ケアが目指す姿とは何なのか、について各分野で活躍されている方々に語って頂きます。(以下敬称略)

元永: 今回のテーマにありますように、私たちは認知症をどのように捉え、その中でパーソンセンタードケアという考え方がどのような役割を担っているかをまず話題にしたいと思います。

木之下徹先生は、在宅認知症診療に取り組まれつつ、お福の会や在宅認知症ケア連絡会などの活動をはじめ、様々な執筆、講演活動において、認知症診療、ケアの方向性やあり方を訴えてこられました。最初に、木之下先生からお聞きしてもよいでしょうか。

元永拓郎

木之下: まず、司会の話の中にあった、“私たちは「認知症」とどう向き合ってゆくのか”の「向き合う」という言葉に関して述べさせてもらいます。

今回の厚生労働省の発表の切り口は、ノーマライゼーションだとも捉えることができると思います。

ノーマライゼーションとは、今まで地域から隔離してきた人々を、これからは地域の中でどうやって生活していけるようにするのか、というようなベクトルを持っています。

本文中の『「認知症になっても本人の意思が尊重され、できる限り住み慣れた地域の良い環境で暮らし続けることの出来る社会」の実現を目指している。』が、まさにビジョンとして掲げられています。

その場合、「向き合う」という言葉は、あちら側の対象者として認知症の人を見ている点でふさわしくないと思います。

将来認知症になるかもしれない私たち自身も当事者だと考えれば、「向き合う」のではなく、「共に生きる」「共に歩む」という視点が大切です。

認知症は全ての人にとって当事者テーマであることを否定できる人はいないと思います。認知症という「病」だけを見ているだけではうまくいかない。

医療の足場を短絡的な「症状」にしてしまうことによる不具合、生活のしづらさを改善してゆくことを基盤とするような意識作り、スキーム作りが背景にないと、これからの認知症の医療の確かなる足場が成立しないと思います。

木之下徹
木之下徹氏(医療法人社団こだま会こだまクリニック院長) 

認知症の人の生活のしづらさを理解する

元永: 多くのドクターは認知症の人を「対処する」「対応する」、といった診療の対象者として診ることが多いと思います。

しかし木之下先生の投げかけによれば、そのような考え方では、認知症と生きること、生活のしづらさを理解することはできない。また適切な診療も出来ない、と強調されているように思います。

その点に関して、認知症ケアの現場に看護師として携わっている本多さんや、ケアスタッフとして関わっている中野さん、ご家族としての経験者である加畑さんはどのように感じられていますか?

本多: 今の「対象者」という言葉ですが、現場にいる者から見ると、ご本人と家族と、支える多職種に及ぶ種々の人々と良い連携が取れている医師は、疾患だけを見ているわけではなく、その人の生活も見ているのだなあ、と感じます。

しかし、診療の対象者として診ている医師は、その人全体を理解するには至っていない、とつい感じてしまうことがあります。

医師の医学的な技術や知識の力量から離れているのかもしれませんが、現場の感覚ではその点をもって「良い医師とそうでない医師」などと区別してしまうこともあります。

本多智子
本多智子氏(医療法人社団こだま会こだまクリニック看護師)

中野: 認知症の方と大きな病院の認知症専門外来に行った時に、先生はご本人から話を聞かずに、付き添いのケアスタッフである私に「君たちは何に困っているのか」「何で君たちの手を煩わせているのか」という質問をされたことが幾度かありました。

「一緒に診察室に入っているのだから、ご本人から話を聞いてください。」とお願いするのですが、ご本人と目を合わせて、しっかりとお話をされる先生はあまりいなかったように記憶しています。

その先生が認知症の専門医であっても、です。そういったときに、私は、認知症の人を診療の対象者としてしか見てもらえていないという気がします。

中野あゆみ
中野あゆみ氏(有限会社DOOD LIFE(高齢者住宅・訪問介護)代表 社会福祉士)

加畑: 私の場合は父がレビ-小体型認知症、母がアルツハイマー型認知症で、父と母の同時介護という経験をしました。いろいろ大変な経験もしましたが、振り返ってみて、家族として何を周囲に一番望んでいたかというと、認知症を罹ったとしても父を一人の人間として認めて欲しい。父にも父の人生がありました。それをいつも伝えたかったのです。

しかし、そう言っても理解してもらえませんでした。それは母の場合も同じでした。

施設の中では大勢の中の一人でも、家族にとってはたった一人の父であり母なのです。ともすると、モンスターファミリーのように言われたりしてしまうこともありました。

「レビ-小体型認知症介護家族おしゃべり会」の中でも、多くの方から、悔しい思いをしたという話を聞きます。何が悔しいのかと言うと、「人」としてきちんと扱われていない、というのです。在宅介護に関して言えば、支援するチームがしっかりと揃っていれば頑張っていけると実感しています。

加畑裕美子
加畑裕美子氏(「レビ-小体型認知症介護家族おしゃべり会」代表)

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ドクタージャーナル編集部   

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遺伝子専門医でもある熊川先生は、難聴のリスク遺伝子を特定する研究にも携わられてきました。信州大学との共同研究を経て、現在では高い精度で予後を推定できるようになっています。 将来を見据えたライフスタイルの設計のために。本連載最終記事となる今回は熊川先生の経緯や過去の症例を伺いながら、難聴の遺伝子検査について取り上げます。