#03 地域のかかりつけ医が大きな役割を担うこれからの認知症医療

認知症という言葉に打ちのめされてしまう

加畑: ところで、今の認知症の人々の現場では、早期診断、早期絶望の状況があります。

何故かと言うと、自分が認知症という言葉でガクッときてしまうのです。

認知症になっても、ある程度の生活を続けることは出来るのに、それが否定されるかのように、診断時の認知症という言葉に打ちのめされてしまうことが多いのです。

それでも家族は、その人の気持ちを引き上げないといけなし、大変な力が要ります。

年が若いと特に経済的な問題や子供の就学の問題など、明日からどうやって生きていくのかという問題が生じてきます。離職も覚悟しなければならない。

例えば、夫がレビー小体型認知症になれば、奥様はうつになってしまうこともあります。その支援が地域でも行政でも全く出来ていない。そういう現実の問題があります。ですから、そういった問題を同時にどうやって解決するのかが切迫した問題です。

木之下: 中村成信さんの手記「ぼくが前を向いて歩く理由(わけ)」の中でも打ちのめされた経験を書かれていますが、なぜ打ちのめされるのか、と言う話に関していえば、今はそういう文化だからと思わざるを得ない。

現代の社会心理的な環境が良いとは到底思えません。だれもがなるかもしれないのに、誰もが希望を見せるような一縷の望みが今は無い。自らみつけないといけない、というのがいまの現実だと思います。

認知症の本人が追いつめられた風景、そういった不全感や絶望感、さらにそれを乗り越え希望を見いだす過程を、同じような苦しみの中にいる他の認知症の人々に向けて、もっと本人が発信する場があって良いのではないかと思います。

更にいえば、本人からの発信を閉ざしてしまうようなことを、周囲がしてしまう現実も一方にはあります。逆に周囲の人々はその発信を支援しないといけない。

ちなみに「若年性認知症」と言う言葉がはやっています。一方、専門医の間で「老年性認知症」なる用語は否定されています。そのときになぜ「若年性認知症」は許容できるのかには、その理解に窮します。

だから、せめて若年認知症とするとか、若年期発症の認知症にするなどのことは必要かなあ、と思ったりします。当然、就労支援など、年齢特異的な部分はあるとは思います。また施策上の年齢切りの必要性はあろうかと。

ただ、ときどき、あまりに若年ということを強調するあまり、その際に流れる、背後にある意識に疑問を感じます。なぜ「若年」切りをするのか、という問題です。

認知症の人は「人」であるという前に、若年性も、老年性もない。年齢によって、その内面にある、その恐怖や絶望が違う、とは思えない。希望についても違うとは思えない。年を取ったから絶望は少ないのか。そんな風には思えません。老年のことも同じように想定してほしいと思うことがあります。

本多: 確かに最近は、いろいろなシーンで認知症についての発信が増えていると思います。

その結果、例えば認知症の人でも普通に話せるし、生活もできるのだ。という認知症の人への認識は変わってきていると思います。

そもそも「普通に話せる」と言っている段階で、すでにそれはスティグマですが。

しかし、多くが話題提供で終わっている事に違和感を感じることがあります。認知症の人は何で困っているのか。それをどう一緒に考えたら良いのか、という所まで掘り下げる必要があります。

誤診が多いレビー小体型認知症

加畑: 最近、家族会にもいろいろなところからレビー小体型認知症の取材依頼が増えています。でも、取材者が全く勉強していないことが多い。

短時間で簡単な取材で記事や番組にしようとする。やはり一種のブームのような気がします。当事者にとってはそれこそ深刻なテーマを、ご本人の人生や生活を何も知らないで、第三者的な傍観者の目線で捉えている記者もいます。

でもそれは違うのです。木之下先生が言われているように、私達当事者としてのテーマなのです。

勿論記者によっては、一生懸命な方もおられます。真剣に真面目に取材して頂くのであれば私たちも全面的に協力させて頂いています。認知症や在宅介護について正しく知って頂きたい思いは強くあります。

それから、かかりつけ医の先生方には、多くの論文や書籍も出ていますので、レビー小体型認知症をしっかりと勉強していただきたいと思います。

一例をあげてみれば、かかりつけ医の先生がレビー小体型認知症を知らないということで、最初にうつ病と診断されてしまうことが多いということがあります。

うつ病としての診療期間が長くなることで認知症が悪化してしまう。その間、顕著な症状が出ているにも関わらず、認知症を疑わないのです。

元永: レビー小体型認知症の人たちが重要なキーパーソンになるのでしょうね。

レビー小体型認知症の人たちを理解して適切なケアに繋げて行く上で、うつ以外にも、自律神経症状や体の諸症状の問題、薬の副作用の問題などが出てきます。

その最前線はかかりつけ医の先生たちにかかっているといえます。しかし現状は残念ながらそうなってはいません。

加畑:大学病院や錚々たる医療機関でレビー小体型認知症と診断されるけれども、その後のフォローが全くないのです。放り出されてしまう。

若年の認知症の人だと非常に前向きに関わってくれる場合もありますが、高年齢者の認知症の人だと放り出されてしまうことも多いのです。年齢は関係ないしおかしい。

本多:大きな病院の専門医と、ご本人たちの生活や家族も含めてのお付き合いのある地域のかかりつけ医の先生たちが連携をとり、認知症の人をその方々の生活の視点を持って診ていただく。それをシームレスに進めていけるような仕組みを整えてもらう必要がありますね。まだ大学病院と地域の医療との間に隔たりがあると思います。

司会: 今回のようなそれぞれの職域や立場を越えて、これからの認知症ケアのあり方を多角的に伺えたことに大変感謝しております。
ご多忙な執務の中をご出席頂きました勝又室長をはじめ、木之下先生、元永様、本多様、中野様、加畑様には大変感謝しております。誠に有難うございました。

これからの認知症ケアでは、認知症の人を人として尊重した医療とケアを地域で連携させ、「生活の場」である家庭や地域社会の中で暮らしていけるような状況をつくるための取組みの重要性が良く判りました。

地域における多くのかかりつけ医がますます重要な役割を担っておられると感じます。

1人でも多くの医療従事者の方々に、認知症ケアにさらに取り組んでいただけることを切望いたします。

この記事の著者/編集者

ドクタージャーナル編集部   

ドクタージャーナル編集部によるインタビュー記事や座談会などの記事をお届けします。

最新記事・ニュース

more

遺伝子専門医でもある熊川先生は、難聴のリスク遺伝子を特定する研究にも携わられてきました。信州大学との共同研究を経て、現在では高い精度で予後を推定できるようになっています。 将来を見据えたライフスタイルの設計のために。本連載最終記事となる今回は熊川先生の経緯や過去の症例を伺いながら、難聴の遺伝子検査について取り上げます。

人工内耳の発展によって効果や普及率が格段に高まってきた現代。今だからこそ知りたい最新の効果、補聴器との比較、患者さんにかかる負担について伺いました。重度の難聴を持つ患者さんが、より当たり前にみな人工内耳を取り付ける日は来るのでしょうか。

本連載の最後となるこの記事では、首都圏で最大規模の在宅医療チームである悠翔会を率いる佐々木淳氏に、これからの悠翔会にとって重要なテーマや社会的課題、その解決に向けてのビジョンについて伺いました。

こころみクリニックは正しい情報発信とぎりぎりまで抑えた料金体系、質の高い医療の追求を通して、数多くの患者を治療してきました。専門スタッフが統計解析して学会発表や論文投稿などの学術活動にも取り組み、ノウハウを蓄積しています。一方でTMS療法の複雑さを逆手に取り、効果が見込まれていない疾患に対する効果を宣伝したり、誇大広告を打つクリニックもあり、そうした業者も多くの患者を集めてしまっているのが現状です。 こうした背景を踏まえ、本記事ではこころみクリニックの経緯とクリニック選びのポイントについて伺いました。

前回記事に続いて、首都圏で最大規模の在宅医療チームである悠翔会を率いる佐々木淳氏に、「死」に対しての向き合い方と在宅医が果たすべき「残された人生のナビゲーター」という役割についてお話しを伺いました。

人工内耳の名医でいらっしゃる熊川先生に取材する本連載、1記事目となる本記事では、人工内耳の変遷を伺います。日本で最初の手術現場に立ったのち、現在も71歳にして臨床現場で毎日診察を続けられている熊川先生だからこそお話いただける、臨床実感に迫ります。