#01 先に認知症になった私たちから仲間達へ

「できることを奪わないで。できないことだけサポートして」「徘徊ではない。目的があって歩いている」「何かしてほしいわけではない。ただ普通に生きたい」「私たち抜きに私たちのことを決めないで」「お医者さん、私の顔を見て話して」「認知症の人は普通の人です」……etc。 本邦初、認知症と生きる本人たちが、自ら書いた本が出来上がりました。絶望なんかしていられない。人生は終わらない。たくさんの言葉には、認知症になって希望を失っている仲間に向けたエールと、社会に対する渾身のメッセージが詰まっています。 (株式会社harunosora)

認知症の人からのメッセージ

この本は、2015年12月にNHK総合テレビで放送された番組「わたしが伝えたいこと~認知症の人からのメッセージ~」という、前編、後編合わせて115分の番組がきっかけとなって生まれました。

10人の認知症の方が番組の収録に参加してくださったほか、NHKが行った「本人の声」の募集に応じて、100通ものメール、FAX、それに封書やはがきなどのお手紙が届き届きました。

こうした認知症の当事者の声を、放送だけで終わらせて欲しくないという意見に応えようとまとめたものが本書です。その結果、実名で15人の方が執筆をしてくれました。

おそらく日本で他に例をみないのではないかという本書の特徴は、「先に認知症になった人」から「認知症になって絶望している仲間」へ向けて書かれた本だという点です。

本書に寄稿してくださった方々は、皆、認知症と診断されたあと、長く苦しい絶望のトンネルをくぐり抜け、その先の人生があることに気づき、今を生きていらっしゃいます。

その過程において、誰もが「なぜ、診断後に絶望の期間を過ごさなくてはならなかったのか」ということに強い疑問を感じていました。

そして「これから認知症になる人に同じ思いを味わってほしくない」と考えていたのです。

その思いは、本書の冒頭で8人の方が付箋に書いてくださった短いメッセージに込められています。とても短い言葉ですが、本質をついた言葉の数々です。

認知症になっても人生は終わらない
認知症になっても人生は終わらない: 認知症の私が、認知症のあなたに贈ることば
「できることを奪わないで。できないことだけサポートして」「徘徊ではない。目的があって歩いている」「何かしてほしいわけではない。ただ普通に生きたい」「私たち抜きに私たちのことを決めないで」「お医者さん、私の顔を見て話して」「認知症の人は普通の人です」……etc。本邦初、認知症と生きる本人たちが、自ら書いた本が出来上がりました。絶望なんかしていられない。人生は終わらない。たくさんの言葉には、認知症になって希望を失っている仲間に向けたエールと、社会に対する渾身のメッセージが詰まっています。

認知症への偏見は当事者の中にも

2015年の秋、「本人の声」の募集を始めたところ、まもなく一通の手紙が届きました。

大阪府和泉市の曽根勝一道さんという方からでした。その中の一文に、私はハッとして、心が揺さぶられました。そこには、「アルツハイマーになったら悪いのでしょうか」と書いてあったのです。

認知症の診断という、人生でおそらく最も過酷な体験をされた人に、このようなことを書かせる世の中とはいったい何なのだろうか・・・・。その疑問を抱いたのを覚えています。それがこの本の出版へとつながる一貫した思いです。

曽根勝さんはこうも書いています。「自分自身が認知症に対して偏見を持っていたんだと気づきました。」「病名でひとくくりにされて、世の中から阻害されているようです。」

認知症と診断された人を苦しめていたのは、アルツハイマー病という病気そのものではなく、“社会の目、視線”であると言うのです。

診断後、6年間にわたって、人とあまり関わらない生活を送ってきたという曽根勝さん。どんな思いで過ごしていたのでしょうか。そんな曽根勝さんとお話がしたくて、私は大阪を訪ねました。

長く小学校の教師を務めた曽根勝さんには、学生の頃からつきあってきた3人の山仲間がいました。その親友たちとは、年に何回も一緒に山々を歩き、は語り明かしました。

でも、曽根勝さんは認知症と診断されたあと、仲間と会うのがつらくなってしまったと言います。

曽根勝さんは、私にこう語ってくれました。

「自分の言ったことも忘れてしまうんです。『おまえ、あんなこと言うたやろう?』て(友達から)言われたかて、憶えてないんですよ。だから、『おまえ、言うたやないか』『ああ、言うた、言うた』とかゆってごまかして、人と会わなあかんというか、そんなことがけっこうあったんです。

会ったら、また言われる(指摘される)んと違うんかなというような恐怖というか、いい加減なヤツやって思われるんじゃないかなって、そんな気持ちがかなりあったと思うんです。そやから、人とつき合うというんがね……。(友達が)大好きやったんですよ。それでだんだん、閉じこもるようになってしまっていたように思いますね。」

曽根勝さんの中にもあった認知症に対する偏見。それが、「仲間に申し訳ない」という気持ちに変わって、つきあいを遠ざけてしまったというのです。

「認知症になったら終わり」という世の中の見方。それによって自分が自分を苦しめてしまう。その根深さを私は深く思い知らされました。
一方、曽根勝さんを救い出してくれたのもまた“人”でした。

「皆さんが引っ張り出してくれた。友達とかいろんな人が引っ張り出してくれるなかで、自分の存在というんか、僕もみんなと一緒に話してもいいんやなと…。」

メディアが作る「絶望」

診断された当事者の内面にまで入り込んでいる認知症に対する偏見。それは、どこからくるものなのでしょうか。

1972年、有吉佐和子氏は、認知症の人を題材に小説を描きました。あの有名な「恍惚の人」です。(その後、映画化)。

このときに深く印象づけられた絶望の姿…。

あれから45年、認知症の人のイメージは変わったでしょうか。変わってこなかったのだと思います。それどころか、いま現在にいたるまで、そのイメージは繰り返しメディアによって強化され、つくられてきたものだともいえます。

世の中には、「認知症になったら終わり」と言わんばかりの情報があふれています。

ためしに、近くの図書館に出かけてみてください。「認知症」もしくは「介護」のコーナーに並んだ本の中には、「徘徊」「暴力」「妄想」といった言葉が踊っています。

これを、認知症と診断されたばかりの人が読んだら、どう思うでしょうか。そんなことは全く考慮されることなく、介護者の視点、専門家の視点から、認知症について書かれた本がほとんどです。

私が出会った認知症の方々は、こうした言葉のひとつひとつに深く傷ついていました。

そして、異口同音に、「そうじゃない情報が欲しかった」「大丈夫だと言って欲しかった」とおっしゃったのです。

この記事の著者/編集者

平田知弘 NHK ディレクター 

1978年生まれ。2002年NHK入局。Eテレで「ハートネットTV」などの制作に携わる。介護・医療・認知症・自殺問題などを中心に番組を制作。現在は認知症がある人に「ハタラク 」を通じて新しい暮らしの選択肢を提供する100BLG株式会社CCO、空き家を活用して「安心して認知症になれるまち」づくりをすすめる一般社団法人栄樹庵理事として活躍。

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遺伝子専門医でもある熊川先生は、難聴のリスク遺伝子を特定する研究にも携わられてきました。信州大学との共同研究を経て、現在では高い精度で予後を推定できるようになっています。 将来を見据えたライフスタイルの設計のために。本連載最終記事となる今回は熊川先生の経緯や過去の症例を伺いながら、難聴の遺伝子検査について取り上げます。