平田知弘 氏
連載認知症になっても人生は終わらない。認知症の私が、認知症のあなたに贈ることば

#02 当事者の内面にまで入り込んでいる認知症に対する偏見

「できることを奪わないで。できないことだけサポートして」「徘徊ではない。目的があって歩いている」「何かしてほしいわけではない。ただ普通に生きたい」「私たち抜きに私たちのことを決めないで」「お医者さん、私の顔を見て話して」「認知症の人は普通の人です」……etc。 本邦初、認知症と生きる本人たちが、自ら書いた本が出来上がりました。絶望なんかしていられない。人生は終わらない。たくさんの言葉には、認知症になって希望を失っている仲間に向けたエールと、社会に対する渾身のメッセージが詰まっています。 (株式会社harunosora)

メディアが作る「絶望」

診断された当事者の内面にまで入り込んでいる認知症に対する偏見。それは、どこからくるものなのでしょうか。

1972年、有吉佐和子氏は、認知症の人を題材に小説を描きました。あの有名な「恍惚の人」です。(その後、映画化)。

このときに深く印象づけられた絶望の姿…。

あれから45年、認知症の人のイメージは変わったでしょうか。変わってこなかったのだと思います。それどころか、いま現在にいたるまで、そのイメージは繰り返しメディアによって強化され、つくられてきたものだともいえます。

世の中には、「認知症になったら終わり」と言わんばかりの情報があふれています。

ためしに、近くの図書館に出かけてみてください。「認知症」もしくは「介護」のコーナーに並んだ本の中には、「徘徊」「暴力」「妄想」といった言葉が踊っています。

これを、認知症と診断されたばかりの人が読んだら、どう思うでしょうか。そんなことは全く考慮されることなく、介護者の視点、専門家の視点から、認知症について書かれた本がほとんどです。

私が出会った認知症の方々は、こうした言葉のひとつひとつに深く傷ついていました。

そして、異口同音に、「そうじゃない情報が欲しかった」「大丈夫だと言って欲しかった」とおっしゃったのです。

医師の役割を見直してみませんか?

私は、曽根勝さんの妻、重美さんがよく通っているという図書館を一緒に訪ねたときのことが忘れられません。重美さんは、認知症に関する本が置いてあるコーナーに行って、それを手にとって見せてくれました。

「徘徊が始まります」「暴力をふるうようになります」「妄想が出てくるかもしれません」と書いてありました。

これを書いたのは、他ならぬ専門職、おそらくは認知症の専門医と呼ばれる人たちです。医師の前に現れる人(患者さん)たちは、確かにそのような行動を示すかもしれません。

その一方で、こうした偏見に苦しみ、医師の前に行くことさえためらっている人たちが世の中にはたくさんいるのです。

読む人の気持ちをまったく考えていないばかりか、正確な情報を伝えていない “認知症の専門書”の数々が世の中に出回っているのです。

専門職が知っている・伝えているのは、認知症の一つの側面でしかありません。

これからは、認知症のことを認知症の人に教わることが何より必要です。

認知症の人はいまや高齢者の6人に1人。認知症は特別なことではなく、認知症になってからの人生をいかに豊かにするか、その支援にこそ、専門職の腕の見せ所があると思うのです。

認知症を、医学的な所見からのみ見ることにどれだけの意味があるでしょう。

これからも、その方は認知症とともに生きていかなくてはなりません。

今、目の前にいるその本人は、まさに新たな人生のスタートラインに立っているのです。そのような見方に立って認知症の人に接して欲しいと切に願います。

(続く)

この記事の著者/編集者

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