「理想の医療施設を自分で作るしかない。」世田谷リウマチ膠原病クリニックを開業する
連載:大学病院とは違う立ち位置でリウマチ・膠原病治療の発信基地を目指すクリニック
2024.02.01
前回記事【吉田智彦氏】医師として病気に立ち向かうことを理解させられた、ある患者との出会いに続き、本記事では吉田氏が、世田谷リウマチ膠原病クリニックを解説するに至った経緯について伺いました。
(記事内容は2012年取材日時点のものです)
独立への意識が芽生えるきっかけ
——大学病院での勤務を続けるうちに、吉田氏にある疑問が芽生えました。
吉田氏:「大学病院の医師は、本当に一生懸命働いていました。私も例外ではなく、朝から夜中まで病院にいることが普通でしたし、24時間続けて外来診療をすることもありました。どの医師よりも患者様を診ていたという自負もありましたが、そうした勤務を続けるうちに、専門医師としての在り方、医療現場の有り様、患者様の置かれている立場に疑問を抱くようになったのです。
言葉は適切でないかもしれませんが『消耗して、疲弊した専門医が、使命感と根性で診療している』というのが大学病院の姿に思えてきました。
患者様の側に立って考えてみると、大学病院は高度医療機関であり、自分の病気を治してくれるはずだと期待されています。それなのに、朝ー番に受付をしても、名前を呼ばれるのはお昼ごろで、治療のこと、医療費のこと、サプリのこと、リハビリのこと・・・沢山聞きたいこともあるけれど診察時間も2~3分で終わってしまう……。
これでは、患者様も医者もハッピーではありません。そこで、『もっと、しっかり患者様を診察・治療するためには?』と考え始めました。そして、医師の働く環境と患者様が診察される環境、それらの『環境整備』ができなければ、私の考えは実現しないと思ったのです」
——その結果、吉田氏が出した結論は「自分の理想の医療施設を自分で作るしかない」というものでした。
2006年「世田谷リウマチ膠原病クリニック」を開業
——2003年に生物学的製剤が使用されるようになり、リウマチ医療は大きな転換期を迎えました。
吉田氏:「生物学的製剤の登場で、これまでに比べて、ドラマチックと言えるほどにリウマチが改善できるようになりました。クリニックでリウマチによる骨破壊を完全に止める治療、リウマチを治す治療をアグレッシブに実践したい。」
——これも吉田氏が独立開業を考える、ひとつのきっかけでした。
開業にあたって考えていたことは以下の3つ。
- リウマチ・膠原病の専門医として、クリニックでありながら、大学病院など高度医療機関と同等かそれ以上の最先端の治療を患者に提供する。
- 西洋医学だけでなく、東洋医学などの補完代替医療を融合し、相乗効果による治癒力向上を図る。
- いわゆる「3分診察」ではなく、患者主体の本当のオーダーメイド治療を実践。同時に、患者の身体の全てに積極的に携わり、心身ともに患者の健康を維持する
——そこで最初に行ったのは、吉田氏をリウマチ内科に導いた山本医師への相談でした。
山本氏は、当時、別の大学病院で漢方と補完代替治療の専門医として活躍していました。山本氏は吉田氏の考え・想いにすぐに共感してくれました。
二人は、お互いの人脈をフル活用し、考え・想いに共感し「志」を共にしてくれるスタッフを集め、2006年に「世田谷リウマチ膠原病クリニック」を開設しました。
リウマチのオーダーメイドの治療法
——現在(2012年取材当時)「世田谷リウマチ膠原病クリニック」には、リウマチ・膠原病の先端治療の研究や、診療に従事している聖マリアンナ医科大学などの教授を含めた8名のリウマチ専門医が在籍しています。
さらには、神経内科専門医や漢方内科専門医も常駐し、看護師も全員が「日本リウマチ財団登録リウマチ看護師」の資格を持つという、まさにリウマチ治療のプロフェッショナル集団となっています。
吉田氏:「現実によくあるケースですが、患者様は、一日をかけて大学病院に行き、三分で診察を終わってしまい帰宅。その後は近所の鍼灸施設やカイロプラクティック(脊椎矯正手技療法)に通いはするものの、そこでリウマチの知識がない施術者の治療を受けてかえって病状が悪化してしまう。また、自分勝手な判断でサプリメントを摂って、リウマチの治療の妨げになってしまったり……。
それらの問題点を改善するために、医師と代替医療の施術者が医療情報を共有し、患者様に施術する当センターの仕組みは、日本でまだ珍しいかもしれません。
先端のリウマチ治療とともに、安全な補完代替医療を患者様に提供したいという気持ちが、このセンターを開設した理由です。それぞれの患者様に合わせた、最良のオーダーメイドの治療法を提供することを目標としています。」
(続く)