「神尾で診てもらって良くなったと聞いて…」と、毎日全国から多くの患者が訪れる。

#01 耳鼻咽喉科の単科専門病院として、100年以上の歴史を誇る。

神尾記念病院は、全国でも珍しい30床の入院設備を持った耳鼻咽喉科単科の専門病院で、1911年(明治44年)に東京・神田で開業してから関東大震災や戦火による消失など幾多の困難を経て現在に至り、2011年で創業100年目を迎えた。神尾友信氏は直系の4代目となる。 一般社会の耳鼻咽喉領域の病気に対するリテラシーは低いが、聴覚、嗅覚、味覚などの人間の五感に関わる病気は患者のQOLを大きく損ない、原因不明や治療できずに苦しんでいる患者は非常に多い。 全国どこでも患者からの相談が受けられる独自の耳鼻咽喉科開業医ネットワーク「アテンディング・ドクター」制度により、全国から患者が来院する。 (『ドクタージャーナル Vol.6』より 取材・構成:絹川康夫, 写真:安田知樹, デザイン:坂本諒)
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4代続く耳鼻咽喉科専門病院のDNA

当病院は日本で最も歴史と伝統があり、数多くの臨床実績を誇る耳鼻咽喉科の専門病院としての誇りを持って今日に至っています。創業以来直系が続いていて、私で4代目です。ですから、生まれたときから病院を継承することが決まっていたような環境で育ちました。

十代の一時期によくあるように、家業に対する反発などもありましたが、父や祖父の姿を身近に見ていたので、医師と言う仕事は嫌いではなかったですね。

医者の仕事とは奉仕の世界、人助けの仕事、そういう環境の中で育ってきたから、医師の仕事に誇りも感じていましたし、まだその頃は医師が世の中から尊敬されていた時代でした。

私自身もそう思っていましたから、自分が後を継がなければならないという使命感もありました。

幼い頃から風邪を引いたりすると必ずこの病院にかかっていましたので、当時からおられる看護婦長や先輩医師など、今でも頭の上がらない先生も多いです。(笑い)

祖父や父の時代に当病院に勤務されていて、今は耳鼻咽喉科の開業医として活躍されている先生方も全国にたくさんおられます。その先生方が現在、アテンディング・ドクターと言う形で神尾記念病院の連携医療に携わって頂いており、とても感謝しております。

安心感と信頼感と満足感を与える医療を提供

「当院は、耳鼻咽喉科専門病院として、患者さんの安心感・信頼感ならびに満足感の得られる医療を提供します。」と言う初代院長の神尾友修が掲げた創業の基本理念は代々継承され、耳鼻咽喉科一筋で今日に至っています。

聞くところによると、直系で4代継承が続いている耳鼻咽喉科の専門病院は他には無いそうです。

私が2010年に院長を継承したときにも、父の時と同じように神尾病院の理念を継承しました。

初代院長の神尾友修は会津若松から東京に出てきて、医療を勉強し神田に耳鼻咽喉科の診療所を開業したそうです。

その後、幾度もの火事や戦火による消失で、時には挫折しかけたこともある中、曽祖父は会津魂の努力と気力で大変な苦労を乗り越え神尾病院を後世に繋げたそうです。

日本における耳鼻科専門医の魁として、初代院長の神尾友修は耳鼻科の世界に多大な実績を残したとも聞いています。

神尾で診てもらって良くなったと聞いて…

当病院には毎日300名ほどの患者さんが来院されています。首都圏近郊にお住まいの方に加えて、北海道や九州・沖縄といった他道府県や時には海外にお住まいの患者さんも来院されます。

嬉しい事に、ここで治療された患者さんが友人・知人に当病院をご紹介して頂き「神尾で診てもらって良くなったと聞いて…」と言われて新たな患者さんが来院していただくことも多くあります。

歴史に培われた信頼と実績に加え、私たちが常日頃心がけている、良質な医療を提供してきた成果と感じています。

余談ですが、創業の曽祖父が、神尾友修、祖父が友彦、父が友和、そして私が友信と、神尾家では後継者の名前に全て友がつきます。

神尾家は代々会津若松の旧家で、先祖は保科正之といい徳川家康の孫にあたります。白虎隊士の中にも縁者がいるそうですが、私はその神尾家16代目の当主でもあります。

第2代将軍徳川秀忠の側室お静の方が神尾家から出ており、生まれた子が会津松平家初代藩主の保科正之です。そこから神尾家が続いています。

初代院長、神尾友修が故郷を離れ東京の地で頑張れたのはそんな会津魂やプライドがあったからではないかと思います。また当時は三菱の創始者である岩崎家とも密接な交流やサポートもあったそうです。

(続く)

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