#02 私たちのことを、私たち抜きに決めないで

当事者として発言することで認知症への偏見を打ち破り、医療やケアの改革に大きく貢献した著者の過去20年にわたる講演録。 認知症の当事者として発言することで、「認知症の人は何もわからない」という偏見を打ち破り、医療やケアの改革に大きく貢献した著者が、20年にわたり世界各地で行った講演を抄録。当事者・家族、医療・福祉関係者必読の一冊。 1955年、46歳で認知症の診断を受けた著者は、それ以来20年間にわたって、当事者として発言することで認知症への偏見を打ち破り、世界の医療やケアの改革に大きく貢献した。みずから選んだ14篇の講演を収録する。 (大月書店、2017年)

私たち抜きに決めないで

『認知症とともに生きる私「絶望」を「希望」に変えた20年』を貫いている思いは、原著のタイトルである「Nothing About Us, Without Us!(私たちのことを、私たち抜きに決めないで)」(Jessica Kingsley, 2016)という言葉に集約されるといっても過言ではないだろう。

この考え方は、古くはハンガリーのニヒル・ノビ法(1505年)に由来し、もともとは、国王といえども議会上下両院の同意なくして法律を布告することはできないと定めた文言であったという。

それはやがて民主主義の規範のひとつとして後世に受け継がれ、時代がずっと下って1990年代になると、障害者運動を担うスローガンとして世界に波及した。

1995年、クリスティーンが認知症の診断を受けたのは、ちょうどそのような時期であった。

国際会議の舞台で

2004年、京都で開かれた国際アルツハイマー病協会(ADI)国際会議に、認知症の本人として参加した彼女は、このスローガンを表題とする発表をおこない、その後の世界の動きに多大な影響を与えた。

認知症の人自身が声をあげることで、他者にとって「目に入らない、目に見えない存在(透明人間)」から「目に見える存在」になり、認知症に対する偏見をみんなで一緒になって取り除いていくことができる、と訴えたのである。(第四章に全文を収録)。

クリスティーンをはじめとする当事者からのこのような働きかけによって、認知症に関係することには認知症の人自身が参加すべきである、という意識が広がっていった。

このスローガンは、国際認知症権利擁護・支援ネットワーク(DASNI)から国際認知症同盟(DAI)に引き継がれ、現在は国連と連携する認知症の人の権利擁護運動(アドボカシー)に発展している。

その成果のひとつとして、世界保健機関(WHO)では、今年から認知症に関するグローバル・アクション・プラン(十ヵ年計画)が始まった。

認知症の私はどう感じているか

2001年以来、折にふれてクリスティーンの言葉に接してきたが、今回再び彼女の言葉を翻訳するにあたって、あらためてその大切さについてしみじみと考えた単語があった。

それはfeel(感じる)である。本書を読むとおわかりいただけると思うが、彼女は講演をおこなうたびに、「私はどのように感じているか」「認知症があるのはどのような感じか」を説明している。

実際に日本に来たクリスティーンが講演で原稿を読み上げるときも、「アイ・フィール」と強調することがあった。

当たり前だと思われるかもしれないが、この言葉を使ってそう語ることができるのは、認知症がある人だけであり、そこにまぎれもない当事者性がある。

その明白な事実と、本書の随所に埋めこまれたこの言葉の重みを、私たちは忘れないようにしたい。(訳者あとがきを一部加筆)

訳者:馬籠久美子 まごめくみこ

通訳・翻訳者。1986年、津田塾大学英文科卒業。米国マサチューセッツ州のスミスカレッジでアメリカ研究プログラムを修了、同州立大学アムハースト校大学院で教育修士号取得、博士課程に学ぶ。

認知症関連の翻訳書に、クリスティーン・ブライデン著『私は私になっていく❘認知症とダンスを』(共訳、クリエイツかもがわ、2004年)、エリザベス・マッキンレー他著『認知症のスピリチュアルケア』(新興医学出版、2010年)、認知症当事者の会編『扉を開く人―クリスティーン・ブライデン』(クリエイツかもがわ、2012年)。2003-2004年の来日講演などの通訳を務め、クリスティーン・ブライデンを取り上げた番組制作に携わる。

認知症とともに生きる私
『認知症とともに生きる私「絶望」を「希望」に変えた20年』

この記事の著者/編集者

クリスティーン・ブライデン   

1949年、イギリス生まれ。科学者、官僚としてオーストラリア首相の科学政策顧問を勤めるなど活躍するが、1995年に46歳の若さでアルツハイマー病の診断を受けて退職。
1998年に前頭側頭型認知症と再診断。将来への不安と周囲の偏見に苦しみながらも、講演や手記の執筆を通じて当事者としての体験や心情を発信。
13年前の国際アルツハイマー病協会国際会議(ADI)・京都では、認知症当事者として自らの思いや希望を発言し、変革の先駆けとなった。
2003年以来たびたび来日し、日本の認知症当事者や医療・福祉関係者と交流を重ねている。
2017年4月、再び京都で行われたADI会議に参加し拍手喝采を受け、その存在感を示した。

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遺伝子専門医でもある熊川先生は、難聴のリスク遺伝子を特定する研究にも携わられてきました。信州大学との共同研究を経て、現在では高い精度で予後を推定できるようになっています。 将来を見据えたライフスタイルの設計のために。本連載最終記事となる今回は熊川先生の経緯や過去の症例を伺いながら、難聴の遺伝子検査について取り上げます。