連載高橋昭彦氏インタビュー:本人だけでなく家族も支える小児在宅医療とは

#01 【高橋昭彦氏】へき地医療での経験が、私にとっての在宅医療の原点となっています。

在宅療養支援診療所として高齢者から小児、難病、認知症、緩和ケアまで幅広く地域医療に貢献する ひばりクリニックの院長 髙橋昭彦氏は、医療的ケア児の在宅医療に取り組む中で、重度障がい児の子どもを見守る母親たちのために、独自でレスパイト施設「うりずん」をスタートさせる。 それら地域の支援体制の確立に向けた高橋氏の活動に対しては、第10回 ヘルシー・ソサエティ賞や、第4回赤ひげ大賞(日本医師会)が贈られている。 (『ドクタージャーナル Vol.22』より 取材・構成:絹川康夫, 写真:安田知樹, デザイン:坂本諒)
高橋昭彦

高橋昭彦氏
小児科医。1961年滋賀県生まれ。1985年に自治医科大学卒業後、大津赤十字病院、郡立高島病院、朽木村国保診療所に勤務。1995年より沼尾病院(宇都宮市)在宅医療部長。2002年ひばりクリニックを開業。2006年に重症障害児の日中預かり施設「うりずん」を開所。2012年特定非営利活動法人うりずん設立。2014年第10回 ヘルシー・ソサエティ賞受賞。2016年に現在の地にひばりクリニックを新設移転し、病児保育かいつぶりを併設する。2016年の第4回赤ひげ大賞(日本医師会)を受賞。

へき地の診療所で始めた定期訪問診療で多くのことを学ぶ

私は滋賀県で教員の父と看護師の母のもとで育ちました。母の影響もあって中学時代から漠然とではありますが医師になりたいという思いがありました。

高校時代には太陽光発電にも興味を持ちまして、大学受験は名古屋大学工学部応用物理学科と自治医大の2校に願書を出しました。結果的に滋賀県で2名の合格枠に入り自治医大に合格できたことで、医師の道に進むことを選びました。

1985年に自治医大を卒業後、故郷の滋賀県に戻り、病院勤務の小児科医とへき地の診療所勤務を経験しました。そのへき地での医療の経験が私の在宅医療の原点になっています。

診療所では午前中は外来診療を行い、午後は在宅医療を行っていました。その頃は、何かあったら往診に伺うというもので、定期訪問はありませんでした。まだ介護保険がなかった時代です。しかし往診に伺っただけでは、そこのお宅のお年寄りがどんな介護をされていて、日頃の生活状況はどうなのがわからないのです。そこで、患者さんのお宅に通うようにしました。

最初の頃は、亡くなった時に来てくれればいいからと、通うことを断られたりしましたが、それでも定期的に訪問を始めると、お嫁さんがたった一人で介護をしている実態とか、そのお年寄りの日常の状況がよく解るようになってくるのです。このように家庭の中に入っていかなければ、在宅医療はできないのだなと知りました。

それからは、定期訪問を主体とした診療を始めました。その結果、村でもある程度は在宅医療ができました。しかし当時、村には医師は私一人で他に訪問看護や介護サービスもありませんでしたから、負担は全て私一人にかかってきます。各方面に要請も出すのですが、その状態を変えることはできませんでした。

宇都宮市の民間病院で在宅医療部を立ち上げる

1995年に縁あって自治医大の先輩医師から、栃木県宇都宮市の民間病院で在宅医療部を立ち上げてほしい、というお誘いをお受けしました。

宇都宮には人脈も全くありませんでしたが、在宅医療を進めていく中でいろいろな方との交流が生まれ、そこでの6年間で、私の周りに在宅医療の多職種ネットワークが出来上がっていきました。これが今でも私の宝となっています。

結果的には、病院で多職種連携による在宅医療を作り上げることはできましたが、一つだけできなかったことがありました。それが小児の在宅医療でした。小児科医は私一人でしたので、小児の在宅医療までは手が回らなかったのです。また、組織の中で働くことにも限界を感じていましたが、それでも当時の私には開業する考えは全くありませんでした。

二つの出来事が開業を決意させる

シスタービンセントとの衝撃的な出会い

2001年に故郷の滋賀県に戻りましたが、同年の9月にワシントン、ニューヨーク周辺のホスピスを見学するツアーに誘われて参加しました。9月8日に、マザーテレサがつくられたエイズホスピス・イン・ワシントンを訪問し、そこでシスタービンセントに出会いました。

その施設はエイズや生活困窮者の方を無料で受け入れている非営利のホスピスで、政府からの助成金もなく収入がゼロなのですが、経営は十分に成り立っているのです。

理由を聞くと、「私たちが欲しいと言わなくても、世界中から寄付が集まり、世界中からボランティアが集まるのです。」といわれました。例えば、「窓が壊れていると、何も言わなくても、私が直しましょうという人が現れて、いつの間にか直っています。」というのです。私はこの話を聞いて衝撃を受けました。

思わず彼女に「私は日本から来た医師ですが、自分がやりたいと思っていることができていません。」と話すと、にこっと笑って、「あなたの目の前のことをやりなさい。そうすればあなたにとって必要なものは現れます。」といわれたのです。私にとって運命的な言葉でした。

9.11ニューヨークテロに遭遇。

二つ目は、現地で9.11ニューヨークテロ事件に遭遇したことです。

その朝ホテルからバスで、マンハッタン島のセント・ビンセント・メディカルセンターのホスピスに見学のために向かっている時に、急にあたりが騒然としだして、前方のワールド・トレード・センタービルが燃えていたのです。

最初は何が起きているのかわかりませんでした。暴動も起きていて周囲は大変な騒ぎとなっています。そこから何ブロックも徒歩で避難して、やっとの思いでホテルに戻り、大きなテロが起こったことを知りました。

ホテルに避難していても「ここで死ぬかもしれない。」という怖い思いを何度もしました。その時に、「もし無事に日本に帰れたら、自分の思い通りのことをやろう。」と強く思いました。

ひばりクリニック

2002年5月、宇都宮市でひばりクリニックを開業

ようやく無事に帰国できてから、2週間じっくり考えて開業の決意を固めました。

シスタービンセントの「目の前にある必要なことをやりなさい。」という言葉と、9.11テロの遭遇の経験が、私にひばりクリニックの開業を決意させたのです。開業地は、それまでに培っていた在宅医療の多職種ネットワークを活かそうと思い、栃木県宇都宮市に決めました。

当時の職場や家族、故郷に帰ってきて喜んでいる両親にも何とか理解してもらい、2002年5月に最初のひばりクリニックを開業しました。開業といっても、資金も資源も何もないところからのスタートでした。地元の人間ではなかったので、地元の金融機関からは融資を断られてしまい、開業資金は父から借りました。今では、銀行のほうから積極的に融資してくれます(笑)。

また、開業に際してはいろいろな方からのご好意を頂きました。病院や開業医の複数の先生から、使っていないソファーやベッドなどを頂き、自ら軽トラックで取りに伺ったりと、多くの方からの善意を頂きました。

全くゼロからのスタートでした。

ひばりクリニックの開業は、全くゼロからのスタートでした。開業当初は外来患者さんが1人とか、全く来ないという日もあったりして随分苦労をしましたが、それでも在宅医療だけは順調に進みました。

クリニックの診療科目は内科と小児科で、ごく普通の診療所です。診療日は、月・火・木・土の週4日の午前中が外来診療で午後は訪問診療、金曜日は終日訪問診療となっています。最初の頃は金曜日も外来診療を行っていたのですが、在宅が忙しくなってきたのでやめました。とんでもないことですね(笑)。

その外来診療でも、患者さんお一人お一人にしっかりと時間を取りたいので、むやみに患者さんを増やすことはできません。1日に診ることができる外来患者さんの数にはどうしても限界があります。クリニック経営の視点で見たら、効率は良いとは言えないでしょう。しかもリスクは高い。

私が小児在宅で診ている重度の医療的ケアが必要な子どもたちは、常に命と隣り合わせにいます。お預かりしている時に急変するかもしれないというリスクを常に抱えています。そんな緊張を強いられる環境であってもスタッフが伸び伸びと働けるように、全ての責任は私が一身に受ける覚悟を決めて日々の診療に取り組んでいます。

小児科医になった理由は子どもが好きだったから

私が小児科医を目指したのは、子どもが好きだったという単純な理由です。大学時代から子どもに接する活動が大好きで、ボランティアで子どもの家などの施設で遊びのお兄さんとか、障がい児キャンプのスタッフをしていました。

近年少子化が叫ばれていますが、小児科医のニーズは増えています。その理由として、3世代同居の家庭が減り、子どもが病気になった時にお母さんだけでは判断できないことが多かったり、子どもの病気が重症化していることが上げられます。

今の時代、新生児の10人に1人が低出生体重児であるとか、障がいを持って生まれてくる子どもの比率が増えています。背景には高齢出産や、医療の進歩で助かる命が増えたことなどが考えられます。かつて私が病院の新生児集中治療室にいたころには、厳しい現実に直面することも数多くありました。

勤務医の時には、ここに入院している子どもさんが地域に帰った時にどんな暮らしをしているのか、気にはなっても訪問はできませんでした。地元の保健師さんに手紙を書いたり、電話で様子を聞いたりしても、できることには限界があります。

しかし、ひばりクリニックを開業して小児在宅医療を行うようになってからは、患者である子どもさんの暮らしに少しは寄り添うことができるようになりました。医師としての自分の人生が続く限りは、その子どもさんに最後まで寄り添い続けたいと思っています。時には子どもさんが亡くなった後でも親御さんとのお付き合いは続くことがあったりもします。

(続く)

この記事の著者/編集者

高橋昭彦 ひばりクリニック 院長 

小児科医。1961年滋賀県生まれ。1985年に自治医科大学卒業後、大津赤十字病院、郡立高島病院、朽木村国保診療所に勤務。1995年より沼尾病院(宇都宮市)在宅医療部長。2002年ひばりクリニックを開業。2006年に重症障害児の日中預かり施設「うりずん」を開所。2012年特定非営利活動法人うりずん設立。2014年第10回 ヘルシー・ソサエティ賞受賞。2016年に現在の地にひばりクリニックを新設移転し、病児保育かいつぶりを併設する。2016年の第4回赤ひげ大賞(日本医師会)を受賞。

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