三鷹あゆみクリニック 院長  高橋壮芳 氏
連載あえて治療をしないという選択ができることも、在宅医の条件だと思います。

#02 在宅医療こそが、私がイメージしていた医師の姿だと強く思いました

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在宅療養支援診療所と訪問看護ステーションを運営する、医療法人社団壮仁会 三鷹あゆみクリニック院長の高橋壮芳氏。医学部時代からの無医村に行く夢が紆余曲折して在宅医療に進むこととなり現在に至る。   在宅医療に取り組んでみて、「これこそ自分が目指していた医師としてのイメージでした。常に医師としての技量や資質だけでなく一人の人間としても試されます。大変な面もありますが、それ以上に在宅医療は楽しい。」 「ただ見守るという選択肢を患者さんや家族に説明できること。そしてご家族が何もしてあげていないのではないかと感じる不安やうしろめたさに寄り添える医師でありたいと願っています。」とも語る。 (『ドクタージャーナル Vol.10』より 取材・構成:絹川康夫, 写真:安田知樹, デザイン:坂本諒)

紆余曲折して在宅医療にたどり着く

研修医当時の私は、在宅医療には全く興味を持っていませんでした。地方の無医村に行くことを視野に入れていたので、研修先の病院で7年間経験を積んだ後に、いよいよ無医村に行こうと考えました。

しかし実は私は東京出身なのでいわゆる地方の故郷というものがありません。どこに行くとしても全く縁もゆかりもない土地ばかりです。しかも一度そこに赴任したらその後は簡単に辞めるわけにもいきませんから、いい加減な気持ちで赴任するわけにはいきません。

自分の故郷が無医村ということであれば思いも格別でしょうが、東京生まれの私にとっては、それだけの情熱と責任感を持って診療に臨める場所がはたして見つかるのか、探せるのかということが課題でした。

そんな折、学生時代から自転車旅行で旅していた北海道なら多少の縁もあるので、まずは一旦、札幌以外の道内地方病院に勤務し、その後に赴任先の無医村を探そうと考えました。

旭川、帯広、釧路、苫小牧などで病院を探し、ある病院で内定も受けていたのですが、妻の出産と赴任の時期が重なったために、結局はしばらくの期間は東京での勤務医を続けることとなりました。

今までと同じことをしても意味がないので、いずれは役に立つであろうと考えて、これまで経験したことのない在宅医療の世界に飛び込んだわけです。しかし当時は在宅医療についてはほとんど知りませんでした。

在宅専門クリニックで在宅医療を経験する。

中野区の在宅診療専門のクリニックに2年間勤務しました。そこは施設系の在宅診療は行っておらず、個人宅の訪問診療のみで、在宅で点滴も輸血も、人工呼吸器管理も行っているようなクリニックでした。

実はそれまでの私の在宅医にたいしてのイメージは、あまりポジティブなものではありませんでした。

病院の勤務医時代に夜間救急で搬送されてくる患者さんの中には、日常は地域の在宅医に掛かっていてもいざという時には病院に運ばれてくる方が多かった。「いざとなったら病院に行ってください」という、在宅医の患者さんへの関与はその程度に思っていました。

しかしそのクリニックでは全く違っていました。それまでの在宅医に対するイメージは完璧に覆させられました。

そこでは医師は患者さんや家族と相談して最良の方向を決め、一緒になって治療に取り組みます。そのクリニックでの2年間は自分を成長させるには最も良い環境で、在宅医療について非常に多くのことを学べました。

在宅医療に従事してみて、これこそ私がイメージしていた医師の姿だと強く思ったのです。それは医学部を目指した時から抱いていた医師のイメージに非常に近いものであり、医師としての満足感や充実感も非常に高いものでした。

(続く)

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この記事の著者/編集者

高橋壮芳
高橋壮芳 三鷹あゆみクリニック 院長 

東京都出身。2002年名古屋大学医学部卒業。2011年三鷹あゆみクリニック開業。 在宅療養支援診療所として24時間連絡が取れ、適宜対応が可能な体制で、膝が痛くて通院できない、麻痺があり歩行困難で通院ができない、認知症で定期的な通院や体調管理ができないなどの患者さんから、癌の末期、在宅酸素、中心静脈栄養など様々な在宅医療のニーズに応えている。心理的に垣根が低く気軽に病気のことを相談できる窓口となり、患者や家族の希望を聞きながら、患者一人一人に適したオーダーメイドの医療を提供することを心掛けている。

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あえて治療をしないという選択ができることも、在宅医の条件だと思います。

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