#03 「認知症で悩む人が少しでも減るような活動に取り組んでいきたい。」認知症治療をライフワークとする宮永和夫氏

20年以上も前から若年認知症に取り組んできた宮永和夫氏は、若年認知症の人には医療と共に生活の支援が求められていると訴える。 18歳から64歳までに発症する若年認知症の発病年齢は平均で約51歳といわれる。老年期認知症と違い、失職などによる経済的な困難や治療・介護期間の長期化による介護者の疲弊、社会の差別や誤解など、若年認知症特有の困難が伴う。 若年認知症医療の先駆的第一人者である宮永和夫氏に、若年認知症の医療と課題について問題提起をしていただいた。 (『ドクタージャーナル Vol.16』より 取材・構成:絹川康夫, 写真:安田知樹, デザイン:坂本諒)

今後考えるべき有効な取り組みとは

従来の認知症専門医といった学会での資格取得だけではなく、医学部における認知症専門科の設置による専門教育が望まれます。そこでは、精神と身体の両者を診ることができる医師や、認知症のターミナル期を診ることができる医師を育成すべきです。

現状のままでは、認知症の専門医といいながらも安易に薬を出す医師が増えかねません。

認知症は、頭の中だけの病気ではありません。結果的に身体の各部にいろいろな症状が出てくる全身の病気です。合併症もあります。でもそこまで見ていない医師が多い。見ても原因に目を向けずに薬で抑えようとする医師も多い。

― 医療側から見た若年認知症治療の課題とは何でしょうか ―

特に若年認知症では介護保険制度が使いづらく、生活支援の手段が少ない点です。

40歳以上であれば、「老化に伴って発症した」認知症は介護保険の給付対象になりますが、交通事故などによる頭部外傷による後遺症や、アルコール脳症などからなる認知症は「老化に伴っていない」ため適用外となってしまいます。

介護保険制度は、基本的には高齢者の方に必要な介護サービスを提供する制度であることから、若年認知症の人に対しては、入所・通所施設での対応が難しい場合もあります。

現状では、障害者向けの施設で若年認知症の人を受け入れているケースも少ないです。障害者総合支援法による障害福祉サービで対応することもあります。しかし申請に制限があったりして必ずしも使い勝手の良い十分な制度とは言えません。

医師の社会保障制度の理解不足で利用推進が十分に行われていないという課題もあります。特に若年認知症では経済的生活支援は非常に重要ですから、これも医師の重要な役割といえるのではないでしょうか。

医師によって傷つけられている人たち

また、誤解を恐れずに言えば、今の認知症診療の現場では、最初にどの医師と出会い、どのような診断を下されるかでその人の人生が大きく変わってしまう。

認知症をあまり解っていない医師によって認知症の診療が行われていることが多いと感じます。本人や家族の悩みや苦しみに寄り添わない。聞こうとしない。最後まで診てくれない。誤診されているのではないか。そんな不満や辛さを抱えて、家族会に来られる方もおられます。医師はそんな家族の話に素直に耳を傾けるべきでしょう。家族の方は真剣だから、我々医師に多くのことを教えてくれます。

以前に、私のところに泣きながら電話をしてきた娘さんがいました。新聞に出た私の前頭側頭型認知症のチェックリストを見て、それまでうつ病と診断されていた父親をチェックしたら、どうも当てはまりそうだと。そこで担当の医師に相談し、医師がしぶしぶ脳の画像を撮ったら萎縮が見つかったそうです。

そうしたらその医師から「私はうつ病が専門なので認知症の専門医に紹介する。」と言われたそうです。それまで4年位うつ病の治療をされ続けていたのです。

この話はおかしいでしょう。うつ病が専門なら、なぜ4年も違うことに気が付かなかったのか。薬の反応とか治療の経緯をしっかりと見ていれば、おそらく分かったはずです。同じような話は他にもあります。

― 宮永先生が診断・治療において特に重要視されていることは何ですか ―

正確な診断もさることながら、本人の今後の日常生活の指導です。

治療の順序としては、まずは本人の環境調整があり、次に日常生活・社会生活の支援、非薬物療法、薬物療法となります。すぐに薬物療法ということではありません。

加えて医師の役割、本人の役割と努力、家族の役割と各々の役割分担を決めます。告知・説明の順序も、まずは本人に対しての、本人が理解できる範囲の説明、次に家族への説明となります。

ここで重要なことは、本人の希望を聞くこと、本人の希望を推し量ること、本人の希望を叶える努力をするように努めることです。

私は、こちらもこれだけ努力するから、ご本人や家族もこれだけ頑張ってほしいと率直に言います。相手も理解・納得してくれます。これは若年認知症の人だから可能なのです。若年認知症の治療とは、医療側と本人・家族の役割分担による共同戦線で共に前進してゆくようなものです。

― 宮永先生は、多くの若年認知症家族会の立ち上げに関わってこられていますが ―

若年認知症家族会は癒しの場でもあると同時に、家族同士だからこそ医師には言えない話もできるし、理解もできることがあるようです。最初の頃は家族だけだと思っていたのですが当事者も参加するのに驚きました。更には、当事者が亡くなられた後も家族会に参加している会員もいますし、お葬式にまで参列される方々もいます。私もお葬式に出たことがありますが、若年認知症家族会の会員たちは思っていた以上に深い繋がりができているような気がします。

それまでの多くの認知症家族会は主に老人が対象でしたので、どうしてもそぐわない。
若年認知症家族会は意図して集めたわけではなく、集まらざるを得なかったという理由で生まれました。小さい単位まで数えれば全国各地でたくさんの家族会が活動しています。

「朱雀の会 若年認知症家族会」の発足理由と役割

若年認知症の理解を深めるとともに、患者本人と家族への援助を行うこと、また、若年認知症の専門的な治療と介護の向上及び福祉の充実を図るための活動を行うことを目的としています。

平成9年に奈良県において「初老期痴呆家族会」として活動を開始したのが若年認知症家族会の始まりです。しかしその後活動を続けることが難しい状況になって、当時 厚生労働省厚生科学研究若年痴呆研究班の主任研究者だった私と多くの支援者が支援して、平成13年 4 月に新たに「朱雀の会 若年認知症家族会」を発足しました。会の名称は、当時事務局の所在地があった奈良県の朱雀から名づけられています。

この家族会の特徴は、家族だけでなく、本人と支援者も含めた3者による組織という点です。特に当事者の本人が参加することになったのは、若年認知症家族会の特徴といえます。

大きな理由としては、当時の家族会の集会時に若年認知症の人を一時的に預かってくれる施設などが無かったことと、夫婦が治療に一心同体で取り組んでいることが多かったからです。

家族会の大きな役割に、相互の癒しがあります。実体験に基づく情報を交換することが大きな励みになります。また、関係施設への働きかけも行いましたが、政治や政党、学会とは距離を置いて結び付かず、ニュートラルな立場での運営を心掛けました。

若年認知症家族会・彩星(ほし)の会の発足

関西で発足した「朱雀の会 若年認知症家族会」に対して全国から多くの問い合わせがあったために、平成13年9月に東京で発足したのが「若年認知症家族会・彩星(ほし)の会」です。現在は、この家族会が全国で一番大きな団体となっています。

NPO法人 若年認知症サポートセンターの発足

若年認知症サポートセンターは、若年認知症にかかわる医療・福祉・行政・NPO等関係者のネットワークをはかりながら、本人及び家族が尊厳を保ち、安心して暮らせる社会の実現をめざして平成19年4月、若年認知症家族会・彩星の会の支援組織から誕生しました。

より多くの家族会を支援するために、彩星の会などの定例家族会の運営以外の活動を行う支持組織として独立しました。

家族会の無い地域では会を設立する活動なども併せて行いながら、日本全体を結ぶ家族会ネットワークを確立し、米国アルツハイマー協会のように、全国の若年認知症者と家族に対する人的支援(サポーターの育成、家族会へのサポーター派遣、医療・福祉相談、介護研修)と物的支援(寄付・資金提供、施設や医療機関の紹介や受け入れ)を行って行きたいと考えています。

また、若年認知症の専門医を養成するために「若年認知症専門員」認定研修を実施し、より実践的な若年認知症ケアのスペシャリストの養成を行っています。講義のみならず、事例検討によるアセスメント技法の習得、当事者や家族の体験談、家族会での現場研修から学ぶことが特徴的です。今までの4年間で計100名弱が認定研修を受けています。

全国若年認知症家族会・支援者連絡協議会

2010年2月に行われたNPO若年認知症サポートセンター主催の「全国のつどい」を契機に、各地に点在している若年認知症家族会と支援者の組織が繋がりはじめ、同年9月「全国若年認知症家族会・支援者連絡協議会」の結成によって本格始動しました。

さらに、2011年2月19日と20日に開催された第2回全国協議会で、各地の家族会と支援者の会相互の情報交換や、多方面の課題解決のための行動指針を策定しました。ホームページを通じて、協議会の活動と、若年認知症に関する種々の情報の提供を行っています。

現在は全国32の家族会が参加しています。全国若年認知症フォーラムも、東京、福岡、群馬、奈良、埼玉、滋賀と6回目の開催を数えました。

宮永和夫

認知症で悩む人が少しでも減るような活動に取り組んでいきたい

15年前検診で肺がんの疑いが出て、結果的には大丈夫でしたが、その時に感じた思いが今の私の医師としての使命感になっています。
当時、医師として何ができるのかと自問していた私の目の前に、難治の認知症がありました。

最近では外来で「先生に会うと元気になる」「先生に会うのが一番の薬だわ」とか言われ感謝されることも多く、「医師こそ最良の薬たれ」の言葉を実感しています。私にとっては世の中への恩返しと思っています。

終末期医療にも取り組んでいる中で、より良い死のあり方とは何かを追求し、提案できるようになりたい。それを自分の覚悟にもしたいという思いがあります。若年認知症は私のライフワークであります。これからも認知症で悩む人が少しでも減るような活動に取り組んでいきたいと思っています。

この記事の著者/編集者

宮永和夫 南魚沼市病院 事業管理者 

神経内科、精神科医。南魚沼市病院事業管理者。精神保健指定医、精神保健判定医、日本老年精神医学会専門医。1951年茨城県生まれ。群馬大学医学部卒業。国立群馬大学医学部精神科在籍時より認知症や高次脳機能障害などの器質精神障害の臨床に関わる。現在 NPO法人若年認知症サポートセンター理事長、全国若年認知症家族会・支援者連絡協議会会長。早くから全国の若年認知症家族会の設立に携わる。地域及び全国での講演会・研修会の活動や認知症に関する著書多数あり。

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遺伝子専門医でもある熊川先生は、難聴のリスク遺伝子を特定する研究にも携わられてきました。信州大学との共同研究を経て、現在では高い精度で予後を推定できるようになっています。 将来を見据えたライフスタイルの設計のために。本連載最終記事となる今回は熊川先生の経緯や過去の症例を伺いながら、難聴の遺伝子検査について取り上げます。