【杉山力一】男性産婦人科医として不妊治療で活躍する2代目院長

杉山力一氏は、杉山産婦人科の2代目院長として精力的に活動している男性医師です。女性の割合が高い産婦人科医の中、診療に限らず出版や講演など多方面に活躍しています。そんな杉山力一氏に、開業の経緯やこれまでの経験、出産や不妊治療に対する考えを伺いました。

取材協力:杉山力一氏

DoctorsJournal 杉山力一氏

杉山産婦人科院長/医療法人社団杉四会理事長

  • 1994年:東京医科大学を卒業
  • 1999年:北九州市のセントマザー産婦人科で体外受精の基礎を学ぶ
  • 2001年:不妊治療専門の杉山レディスクリニックを開院
  • 2007年:分娩・生殖医療・内視鏡手術を行う婦人科総合施設として杉山産婦人科 世田谷を開院
  • 2011年:高度不妊治療・日帰り内視鏡手術を専門とする杉山産婦人科 丸の内を開院
  • 2018年:生殖医療に突出した杉山産婦人科 新宿を開院

杉山産婦人科グループは、最先端医療をいち早く取り入れ、生殖医療科(不妊治療/内視鏡手術)と産科婦人科(分娩)の機能を兼ね備えた国内屈指の産婦人科医院。「Every Patient here is a VIP(当院の患者様はすべてVIPです)」をモットーに対応。グループに在籍する全員が不妊治療に携わり、生殖医療の専門医が集まる新宿院では休診なしでの診療を行っている。

なぜ産婦人科医を目指したのか

杉山産婦人科
引用:山産婦人科公式HP

杉山産婦人科は、祖父が約60年前に東京都杉並区和泉に開業しました。祖父の信条は、患者さんと同様に看護師や職員たちを大切にすること。当時は看護師さんも住み込みで一緒に住んでいたので、杉山産婦人科には家族のようなアットホームな人間関係がありました。

私は幼少の頃から職員旅行についていったり、職員の皆さんに可愛がってもらったりと、そのような環境で育ちましたので、私にとって将来産婦人科医になることは当然のことだったのです。

その後、大学病院の勤務医であった父親が急逝したため、私が祖父から杉山産婦人科を継ぐことになり、2代目院長となりました。

体外受精の名医のもとで

学生の頃から私は体外受精を専門としていました。東京医科大学で体外受精に取り組んでいた時代はまだ体外受精自体が珍しく、術数も多くて週2回程度。もっと体外受精を学びたいと思い、北九州市のセントマザー産婦人科に半年間の国内留学をすることに。

院長の田中温先生は日本でも屈指の体外受精の名医で、セントマザー産婦人科には全国各地から患者さんが来院されていました。毎日20人から30人ほどの体外受精を行っており、体外受精が普及していなかった当時としては異例の数と言えます。だからこそ、学びの場としてはこれ以上ない最高の環境でした。

田中先生と私の祖父が親しかったので、半年間の住み込み研修を受けさせてもらいましたが、先生からはこんなことは最初で最後と言われたのを覚えています。普通ではありえない環境で学ばせてもらえたことに感謝しかありません。あっという間の半年間でしたが、田中先生と生活も共にする中で非常に多くのことを学び、多大な影響を受けました。

杉山産婦人科グループができるまで

杉山産婦人科
引用:杉山産婦人科公式HP

セントマザー産婦人科での学びを終え、2001年に体外受精専門の杉山レディスクリニックを開業しました。小さなクリニックではありましたが、祖父から継いだ産婦人科も経営しつつ、不妊治療も取り入れることにしたのです。

当時は今ほどには不妊治療や体外受精をあまり人に言えないような時代で、患者さんも不妊治療クリニックに入りにくい時代でした。しかしその後、体外受精が流行りだし患者さんも増えてきたので、新たに大規模な体外受精専門クリニックとして同じ地域内の近くに移転拡大。 

2007年には、それまで別々で開業していた生殖医療科と産婦人科を合併し、総合産婦人科として現在の杉山産婦人科を開きました。そして2011年に不妊治療専門クリニックの杉山産婦人科 丸の内を開業。さらには2018年に生殖医療を専門とする杉山産婦人科 新宿を開いて今に至ります。祖父から杉山産婦人科を引き継いだ後、2つのクリニックと現在の総合産婦人科としての杉山産婦人科、丸の内・新宿の分院、計5つを作ったことになります。

お産の安全神話の危うさ

引用:最高裁判所

産婦人科医は、「新しい生命の誕生に立ち会う」という崇高な仕事だと思います。しかし一方で、勤務の過酷さや訴訟のリスクの高さという負の側面ばかりが目立っているような気がしてなりません。今でこそ件数は減ってきているものの、産婦人科は医師の数に対して訴訟件数の割合が高いといわれています。

特に、福島県立大野病院産婦人科医の不当逮捕事件は、地域医療に貢献していた医師の意欲を低下させ、またリスクに対しての萎縮を招いたといわれ、地域における産科医療を崩壊させかねないとして、当時の一部マスコミや警察が非難されました。

「子供は無事に産まれるのが当たり前」というお産の安全神話がありますが、そのような世間の思い込みが産婦人科の難しさになっていると思います。確かにお産は安全であるべきですし、実際日本におけるお産の安全性は世界でもトップクラスです。

しかし安全神話が一人歩きすると、医師にある種のバイアスがかかり、分娩時のトラブルを予防する目的で帝王切開が積極的に行われるようになることなどもあるでしょう。現実には帝王切開とて、100%安全というわけではないのですが……。

産婦人科医を目指す医師は少なくなっている

産婦人科医に限ったことではありませんが、今の時代は患者さんとの人間関係がとても難しくなっています。特に産婦人科では、一生懸命やっても結果が悪いと急に裁判沙汰になることがあるので余計です。時には犯罪者扱いされることもあります。患者さんの立場になったらその気持ちもわからないではないですが、しかし産婦人科医にとっては難しい時代になっています。

お産ではいろいろなことが起きますから気を抜けません。中には重篤な既往症を持っている妊婦さんもいます。だからこそ、優秀な産婦人科医がもっと増えなければいけないのに、今は産婦人科医の成り手が少ない状態です。これは、傍から見ていて産婦人科医がハッピーには見えないからだと思います。

実際に産婦人科医を目指す医師は少なくなっていますし、それまで産婦人科医をしていた医師たちが辞めていく事例も後を絶ちません。

昔の体外受精と妊娠・出産

昔の体外受精では、凍結技術が無かったために1回の施術で受精卵を使い切っていました。一度に2つ、3つと複数の卵子を子宮に戻していましたので1回での妊娠率は高いのですが、双子や三つ子が多いというのが特徴でした。

そのため、お産の時には夜を徹して妊婦さんの出産に立ち会うことも多く、今以上に大変な激務だったと言えるでしょう。そんな産婦人科医の姿を、セントマザー産婦人科でもたくさん目にしました。

私の専門は体外受精ですが、今も杉山産婦人科で分娩まで行っているのは、セントマザー産婦人科での経験によるところが大きいです。

「妊娠と出産を分業にするのは良くない。産科医であるならば妊娠から出産まで責任を持って患者さんを診るべきだ」

このように田中先生から指導され、産婦人科医としての姿勢に感銘を受けた日をよく覚えています。

しかし、実際に病床を持つ産婦人科を継続するためには一筋縄ではいきません。専門スタッフを集めるのも大変ですし、施設も充実させなければならないので、産科をやめて不妊クリニック専門にしようかと何度も悩みました。

ですが今は、妊娠だけで終わるのではなく、妊娠から出産まで、できれば小児科の前半くらいまでは1つのクリニックの中で使命感と責任を持って患者さんを診たいと、そうできるようになるのが杉山産婦人科のあるべき姿だと思っています。

続き:国内屈指の生殖医療科を実現した杉山産婦人科グループ

この記事の著者/編集者

杉山力一 杉山産婦人科 院長 

医療法人社団杉四会 理事長 杉山産婦人科院長
平成6年東京医科大学卒業、平成10年北九州市のセントマザー産婦人科で6ヶ月間の研修を受ける、平成12年杉山レディスクリニック開院、平成19年産婦人科総合施設として杉山産婦人科開院、平成22年杉山産婦人科丸の内開院、平成30年1月杉山産婦人科新宿新病院開院。

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遺伝子専門医でもある熊川先生は、難聴のリスク遺伝子を特定する研究にも携わられてきました。信州大学との共同研究を経て、現在では高い精度で予後を推定できるようになっています。 将来を見据えたライフスタイルの設計のために。本連載最終記事となる今回は熊川先生の経緯や過去の症例を伺いながら、難聴の遺伝子検査について取り上げます。