#06 『ハッピーエンド・オブ・ライフ』に、私たちは決意を込めています

群馬県沼田市の医療法人大誠会内田病院 理事長 田中志子(たなかゆきこ)氏は、故郷の沼田市が大好きで、慢性期医療が大好きという。 田中志子氏は「地域といっしょに。あなたのために。」の理念を掲げ、「大切な、この故郷のために、地域の老若男女が安心して生きられるようなまちづくりをしたい。医療を通じてまちづくりに貢献したい。医師という専門職の立場から地域を見つめ、まちづくりに役立ちたい。」と話す。 「沼田市認知症にやさしい地域づくりネットワーク」の設立など、幅広い活動で地域に貢献する。 (『ドクタージャーナル Vol.19』より 取材・構成:絹川康夫, 写真:安田知樹, デザイン:坂本諒)

「認知症科」の創設を提案する

2年ほど前になりますが、「認知症科」の創設を提案しました。現在と違いまだ認知症加算が付いていない頃です。それまでの認知症診療は、報酬ではなく志のある医師達によって取り組まれてきたように思います。

認知症は、神経内科医、精神科医、老年病科医それぞれによって診療の視点が違うように感じます。認知症の診断を付けるだけの神経内科医もいます。

そこで現実に困っている患者さんのために、多くの医師が専門科の枠を超えて手をつなぎ、より良い認知症医療を目指すための「認知症科」の創設を提唱しました。

あえて認知症を専門に診ますという精神科医や神経内科医がいても良いと思います。

さらに言えば眼科医や耳鼻咽喉科医、歯科医であっても「私が認知症を診ます」と「認知症科」を標榜することで、認知症を診てくれるドクターがたくさん増えれば、患者さんたちが安心して認知症の診療を受けることができます。

認知症とは“脳や身体の疾患を原因として記憶・判断力などの障害が起こり、普通の社会生活が営めなくなった状態”と定義されています。

私たち認知症の専門医に問われているのは、診断や治療だけでなく、認知症によって破綻した日常生活をどう組み立て直すかということで、その人の生活が建て治らなくては治療ではない。そこまでやらないと専門医とは言えないと思っています。

ですから投薬だけでは終わらないのです。私は患者さんのケアプランを細かく精査し、状況に応じた対応をその都度頻繁に指示します。おそらくケアマネからは相当にうるさがられていると思います(笑)。認知症医療は診察室での診療だけではないのです。

認知症は、診断が付いてからがスタートです。がん治療と似ています。

診断は受けたけど、その後にどこへ行ったらいいのか分からず途方に暮れてしまう患者さんがすごく多い。

しかも診断自体も絶対正しいとは言えないことが多い。

高齢者は複合疾患もあり認知症の併発もありますから、初期の診断が変わることも多々あり本当に難しい。

認知症の診断から、その後の治療、家族の支援、慢性期医療まですべてを本気で診るという医師にはぜひ「認知症科」を標榜してほしい。それが認知症科創設の趣旨でした。

日本慢性期医療協会の武久洋三会長が記者会見で発表し、厚労省にも働きかけていただきました。種々の課題もあって「認知症科」の新設はなりませんでしたが、問題提起とその後の認知症施策に多少なりとも貢献できたのでは、と思っています。

「ハッピーエンド・オブ・ライフ」とは

「エンド・オブ・ライフケア」という言葉があります。生が終わる時まで最善の生を生きることができるように支援することです。

ライフという言葉は、「命」「生活」「生きがい」とも訳せます。ですから私たちが目指している「ハッピーエンド・オブ・ライフ」の「ライフ」は全てに関わってきます。「クオリティー・オブ・ライフ」のライフも命だけを指すものではないと思っています。

私たちが支える患者さんのライフとは、「どう生きるか」ということなのです。どう生きたかでどう死ねるかが決まってくる。

エンド・オブ・ライフこそハッピーでなくてはならない。「ハッピーエンド」という言葉こそ、「エンド・オブ・ライフ」に使うべきだと思います。

まして私たちが看取るエンド・オブ・ライフは予測される死がほとんどです。

予測されているのであれば、ハッピーに向かっていかなくてはならない。ですから常に自らにハッピーエンド・オブ・ライフケアと言い聞かせて患者さんと向き合ってゆく。

「エンド・オブ・ライフケア」というと終末期医療のようにも感じられますが、慢性期医療は患者さんが亡くなることから目を背けることができない医療です。
であれば、亡くなる時に患者さんやご家族からここで良かったと思ってもらえる、あえて誤解を恐れずに言えば、死ぬために選んでもらえる病院を目指そうと考えました。

私たちは、それほどの決意をもってケアを行っていいます。この決意を内外に表明したのが「ハッピーエンド・オブ・ライフケア」なのです。

この記事の著者/編集者

田中志子 群馬県認知症疾患医療センター内田病院 センター長 

医療法人大誠会 理事長、社会福祉法人久仁会 理事長、群馬県認知症疾患医療センター内田病院 センター長。医学博士、日本内科学会総合内科専門医、日本老年医学会老年病専門医、日本認知症学会認知症専門医・指導医、認知症サポート医、認知症介護指導者、日本医師会認定産業医、介護支援専門員。日本慢性期医療協会常任理事、特定非営利法人手をつなごう理事長、特定非営利法人シルバー総合研究所理事長。

この連載について

生まれ故郷をこよなく愛し、大好きな慢性期医療に取り組む

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遺伝子専門医でもある熊川先生は、難聴のリスク遺伝子を特定する研究にも携わられてきました。信州大学との共同研究を経て、現在では高い精度で予後を推定できるようになっています。 将来を見据えたライフスタイルの設計のために。本連載最終記事となる今回は熊川先生の経緯や過去の症例を伺いながら、難聴の遺伝子検査について取り上げます。