#07 かかりつけ医の役割とは、患者さんにとっての最初の重要なゲート

東京都町田市の戸建て住宅が立ち並ぶ閑静な住宅街の中にある、西嶋医院とケアセンター成瀬。 この地域で西嶋公子院長は、40年近くにわたり地域のかかりつけ医として、外来診療と在宅医療に取り組んでいる。 特筆すべきは、住民のボランティアグループの結成や、地域ケアの拠点「ケアセンター成瀬」の建設陳情活動など、常に自らが中心となって、住民参加による街づくりに尽力してきたことだ。 「常にみんなで意見を出し合い、みんなの合意の上で全てを決めてきました。私への反対意見があった時でも、必ず全ての意見を尊重してきました。多数決や強制で決めたことは、一度もありません。」と、住民参加型の街づくりにこだわってきた。 長年の活動に対して、平成27年に第3回「日本医師会 赤ひげ大賞」が贈られている。 西嶋公子院長は自らを、住みやすい街づくりのコーディネーターであり、オルガナイザーと自認する。 (『ドクタージャーナル Vol.28』より 取材・構成:絹川康夫、写真:安田知樹、デザイン:坂本諒)

今の日本で介護を経験させることの大切さ

介護は、若い人にも経験させることが大切だと考えています。

私は在宅で療養する方がいらした時に、必ずお孫さんなどの若い人も含めて家族会議を開いてもらい、それぞれが役割を持ってくださいと申し上げています。

介護で自分の役割がわかれば、何をしたらよいのかとか、こうしてあげようとかという思いも湧いてきます。

介護にきちんと参加することで、ターミナル・ケアを学べ、自分のデスエデュケーション(死の準備教育)※もできると思います。

ですから、介護は大変かもしれませんが、家族には経験させなければならないと思っています。

※デスエデュケーション(death education)アルフォンス・デーケン博士が提唱している「死の準備教育」のこと。「死を見つめることは、生を最後までどう大切に生き抜くか、自分の生き方を問い直すことだ。」と、デーケン博士は唱えている。

かかりつけ医としての外来があってこその在宅医療

長いこと外来に通ってくださっている方を、最期まで診ることが私の務めだと思っていますから、私にとって外来診療と在宅医療はどちらも重要な柱です。

かかりつけ医とは、連続したその人の人生のマラソンの伴走者であって、その人の人生にずっと付き添って走りながら、その時々に応じて必要なものを提供してゆく存在だと思っています。

そしてゴールする時がターミナルとなり、ゴール後には家族のグリーフワークがあります。

ですから外来診療を行いながら訪問診療・在宅医療を行うことがベストだと考えています。

地域の中には、いまだに大きな病院の医師をかかりつけ医だと誤解している人や、病院の医師が自分の主治医だと勘違いしている人がいます。

しかし病院の医師は、地域のことも患者さんの家族状況や生活の状況も知りません。

いざという時に、頼りになるのは地域のかかりつけ医です。

日頃から地域の皆さんには、自分のかかりつけ医を持つことの大切さを伝えています。

これからも、患者さん一人一人のかかりつけ医に徹してゆきたい

私達かかりつけ医の役割とは、患者さんにとっての最初の重要なゲートだと思っています。

私は今までに、患者さんのちょっとした訴えや一言から、ともすれば見落とされがちな病気を見つけたことも数多くあります。

かかりつけ医は、患者さんの家族関係や、生活状況、どの程度の介護力があるのか、病気だけでなく生活も含めてアセスメントし、ひとりの人にきちんと向き合い続けることがとても大事です。

また、患者さんの終末期だけでなく残された家族のグリーフケアまでもが、かかりつけ医の在宅医療だと思っています。

一人一人の患者さんにきちんと向き合い、100人の患者さんがいれば、そこに100様のQOLやQOD※を考えていくのが私の仕事です。

そのために日頃の研鑽を怠らず、自分の人脈や様々な治療法を駆使して、これからも患者さん一人一人に、誠意を尽くして行きたいと思っています。

※QOD「死の質(Quality of death)」

患者とその家族が、最期のときを、後悔や心のしこりを持つことなく迎えられること。米国医学研究所の「終末期ケアに関する医療委員会」は、「患者や家族の希望にかない、臨床的、文化的、倫理的基準に合致した方法で、患者、家族および介護者が悩みや苦痛から解放されるような死」と定義している。

この記事の著者/編集者

西嶋 公子 医療法人公朋会 理事長 

医療法人社団公朋会理事長、西嶋医院院長。社会福祉法人創和会理事長。NPO在宅ケアを支える診療所市民ネットワーク理事、社会福祉法人創和会理事長、町田介護支援ネットワーク協同組合代表理事、平成27年 第3回「日本医師会 赤ひげ大賞」受賞。昭和45年 東京医科歯科大医学部卒、昭和47年 国立小児病院、国立療養所神奈川病院勤務。昭和54年 西嶋医院開設、平成元年 ボランティアグループ「暖家の会」設立、平成5年 センター建設促進住民の会 事務局長、平成8年 「ケアセンター成瀬」施設長、平成9年 西嶋医院を医療法人社団公朋会に改組。

この連載について

住民参加型の地域包括ケアを志向し、 コーディネーターとして住みやすい街づくりに尽力する

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遺伝子専門医でもある熊川先生は、難聴のリスク遺伝子を特定する研究にも携わられてきました。信州大学との共同研究を経て、現在では高い精度で予後を推定できるようになっています。 将来を見据えたライフスタイルの設計のために。本連載最終記事となる今回は熊川先生の経緯や過去の症例を伺いながら、難聴の遺伝子検査について取り上げます。