#03 地域のオピニオンリーダーとして医師の立場をフルに活用

東京都町田市の戸建て住宅が立ち並ぶ閑静な住宅街の中にある、西嶋医院とケアセンター成瀬。 この地域で西嶋公子院長は、40年近くにわたり地域のかかりつけ医として、外来診療と在宅医療に取り組んでいる。 特筆すべきは、住民のボランティアグループの結成や、地域ケアの拠点「ケアセンター成瀬」の建設陳情活動など、常に自らが中心となって、住民参加による街づくりに尽力してきたことだ。 「常にみんなで意見を出し合い、みんなの合意の上で全てを決めてきました。私への反対意見があった時でも、必ず全ての意見を尊重してきました。多数決や強制で決めたことは、一度もありません。」と、住民参加型の街づくりにこだわってきた。 長年の活動に対して、平成27年に第3回「日本医師会 赤ひげ大賞」が贈られている。 西嶋公子院長は自らを、住みやすい街づくりのコーディネーターであり、オルガナイザーと自認する。 (『ドクタージャーナル Vol.28』より 取材・構成:絹川康夫、写真:安田知樹、デザイン:坂本諒)

「共に支え合い共に生きる」ケアセンター成瀬の開設

その後、平成5年から平成8年のセンター開設まで、「センター建設促進住民の会」という住民組織が1000名以上の参加で準備し、「ケアセンター成瀬」はオープンしました。私は「センター建設促進住民の会」の事務局長という立場で関わり、センターの施設長として運営に参画しました。

土地は町田市からの無償貸与で、建設費と備品等は国と東京都と町田市からと、全て公費で建設されました。

「共に支え合い共に生きる」というのがケアセンター成瀬の理念です。

ですからケアセンター成瀬には、住民の会という支援組織があります。現在300人の地域の会員が11のボランティアグループで活動し、自主運営されています。

例えば、建設の1年前に10床のショートステイのための備品を手作りで制作するグループを募った時には、希望者が15名ほど集まりました。

するとリーダーを中心に、次はパッチワークでベッドカバーを作ろうということになり、素晴らしいベッドカバーが予備も含めて12枚出来上がりました。

そこから分かったことは、目標と先の見通しが立っていて、それぞれの役割分担が明確になっていると、みんなが動けるということでした。

1年間365日で38,000食も作る食事サービスのボランティアグループ

住民の会から分かれてNPOとなった食事サービスの女性有償ボランティアグループがあります。ここの食事と関連施設のグループホームの全ての食事を交代制で、1年間、365日で38,000食も作っています。すごい数だと思いませんか。

一般的には、食事は外部の業者に頼むことが多いですから、このようなケースはとても珍しいと思います。

このような活動を通じて、自分たちの地域は自分たちで作っていくという意識が強くなっていきます。それが自分たちの役割だと思っているから続くのです。

NPO的なドクターといわれる

私はNPO的なドクターだと、友人の医師から言われたことがあります。

確かにそうかもしれません。私が常に心がけているのは草の根民主主義です。

行政との折衝などでは、地域のオピニオンリーダーとして医師という立場をフルに活用しましたが、組織の運営は常に全員参加型で行ってきました。

多くの人が参加しなければ確実なものはできないと思っていますし、トップダウンや多数決で作るものは長くは続かないと思っているからです。今でもそれは変わりません。

センター建設まで、センター建設促進住民の会の事務局長として5つの委員会を作ってきましたが、常にみんなで意見を出し合い、みんなの合意の上で全てを決めてきました。会議の中で私への反対意見があった時でも、必ず全ての意見を尊重してきました。一度も多数決や強制で決めたことはありません。

常に、やりたい人はこの指とまれという手挙げ方式です。それを徹底して行ってきました。

加えて、参加者のモチベーションを上げていくために、まず私が率先して行動しなければなりませんでした。

ケアセンター成瀬を準備していた時には、1年間で72回もの集会や委員会に参加した年もありました。1日の診療が終わってからの参加ですから、体力的にも精神的にも大変な負担ではありましたが、振り返ってみれば、今では楽しい思い出となっています。

認知症になっても尊厳をもって生きられる地域にしたい

父が認知症になって考えたことは、認知症は老化に伴う一つの病気だということです。

ですから、私も認知症になる可能性はあるわけです。自分だけは認知症にならない、などとは決して思えません。

では、私が認知症になった時に、どのような扱いをされたら一番納得がいくのか、と考えると、決してぞんざいな扱いをされずに、優しく尊厳を保てるように扱われたいと願います。

認知症を自分自身の問題としてとらえた時に、自分たちの住む町は、認知症になっても尊厳を持って生きられる地域にしたいという思いもあって、このような街作りの活動を推進しているのです。

私は東京都認知症サポート医として、いろいろな機会に講習を行っています。

しかし残念なことに、まだまだ認知症に対する理解が低い人たちや地域の多さや、自分達とは無関係だと思っている人たちの多いことに気付かされます。

この記事の著者/編集者

西嶋 公子 医療法人公朋会 理事長 

医療法人社団公朋会理事長、西嶋医院院長。社会福祉法人創和会理事長。NPO在宅ケアを支える診療所市民ネットワーク理事、社会福祉法人創和会理事長、町田介護支援ネットワーク協同組合代表理事、平成27年 第3回「日本医師会 赤ひげ大賞」受賞。昭和45年 東京医科歯科大医学部卒、昭和47年 国立小児病院、国立療養所神奈川病院勤務。昭和54年 西嶋医院開設、平成元年 ボランティアグループ「暖家の会」設立、平成5年 センター建設促進住民の会 事務局長、平成8年 「ケアセンター成瀬」施設長、平成9年 西嶋医院を医療法人社団公朋会に改組。

この連載について

住民参加型の地域包括ケアを志向し、 コーディネーターとして住みやすい街づくりに尽力する

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遺伝子専門医でもある熊川先生は、難聴のリスク遺伝子を特定する研究にも携わられてきました。信州大学との共同研究を経て、現在では高い精度で予後を推定できるようになっています。 将来を見据えたライフスタイルの設計のために。本連載最終記事となる今回は熊川先生の経緯や過去の症例を伺いながら、難聴の遺伝子検査について取り上げます。